人生の夏休み 〜ロンドン駐夫の記録〜

「どうも、キャリアウーマンです」なワイフにライフを激しくコントロールされまくる、日々をまったり過ごしたいアラフォー終わりたての中年男子です。 職場の理解も快く得られ、晴れて休職。子供(姉・弟)と共に、妻の転勤、駐在に帯同する形で地球の裏側まで引っぱられ、ただ今初めての駐夫・専業主夫を経験中。 ほぼ同内容のInstagram【ID : @pondotaro】をこちらで清書。渡英前の事なども順不同でつぶやきます。

IgA血管炎・イギリス闘病記⑧ 妻と交代

2月22日(月):
発症13日目入院6日目

4時、6時、10時、13時、17時、19時、とかなりの頻度で足揉みをした。
最初は痛がっていたが、途中からは痛いながらも心地よさも感じているようで、足揉みを催促するようになった。
妻の知り合いで某大学病院の教授の方がいて、その方が相談に乗ってくれたそうだ。
アドバイス、、、というか見解として以下のような内容を頂いた。

  • 小児は予備力が少ないので、すぐに症状が悪化しやすい。一方で回復力は大きいので症状改善も急速。コロコロ症状が変わりやすい。
  • ステロイドは即効性が無いので、早い段階に短期間使うというのが原則。初期を過ぎてしまった今となってはあまり効果を望めないと思う。
  • 担当医が変わるのは日本以外の先進国では当然のこと。医師も仕事と割り切って働いており、日本のようにボランティア精神で働く医師がいる(今や日本でもそうは言えないかも?)ことの方が世界標準でみると少数派。

特にステロイドの話は昨日落胆していただけにありがたい情報であった。
そういえば私も以前、顔面神経麻痺という病気で入院したことがあったが、

 症状のピークをなるべく低く抑えるためにステロイド剤を使います

という説明を受けたことがあったのを思い出した。
その時は「ふーん」くらいしか思っていなかったのだが、なるほどステロイド剤にはそういう特徴があるのか、と十数年越しに腑に落ちた。
こっちの医師もこういう説明をしてくれるといいのだが。。。

点滴用のカヌラが痛いと言い出し、交換することに。
針を刺す行為は病室担当の看護師では出来ないようで、毎回その行為が許されている医師(もしくは資格持ちの看護師?)が来る。

息子の場合、衰弱して血管が細くなっているようで、針刺しが一発で成功することがほとんどなく、麻酔無しで何度も刺されて結局失敗したことがあった。

それ以降は、血液検査やカヌラで針を刺すときは、必ず麻酔クリームをしてくれるようにお願いをしていたのだが、こういうお願いもさっぱり共有されない。

針刺し処置のためにやってくる医師は毎回別人であり、こちらが黙っていたらそのまま針を刺そうとするので、都度麻酔クリームをしてくれるようにお願いしていた。
子供相手なので、医師達は皆快く了解してくれるのだが、

  • その医師が看護師に麻酔クリームをお願いし、看護師が麻酔クリームを塗ってくれるまで1時間
  • 麻酔クリームを塗って麻酔が効き始めるまで40分
  • そして、針刺しができる医師が再びやって来るのは4~5時間後

皆忙しく、タイミングも合わないのだろうけど、あまりにも効率が悪い。
さすがに毎日頼んでいるのだから少しくらいは情報共有してほしいものである。
まあ、、、もともと期待していたかと言われれば、してなかったのだけど、、、やっぱり期待できないんだなぁ・・・と再認識。

さらにこの日は麻酔クリームの塗り方が悪く、結局麻酔の効いていない場所に針を刺すしかなくなってしまった。
そして案の定一発で針刺しを成功させることはできず、何度も探るように針を刺された息子は、

 もうやだ~、もうやだよぉ~・・・

と、泣きながら耐えていた。
また痛い思いをさせてしまい、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。。。
次回からクリームは広めに塗ってもらうようにお願いしなくてはいけない。

この日くらいから徐々に、本当に徐々にではあるが快方に向かい始めた。
足揉みが効いたのか?もうピークを過ぎたのか?どちらかは分からないが、良く寝るようになり、喋り声も力がこもってきた。
妻は仕事の調整があり、明日交代することに。

2月23日(火):
発症14日目入院7日目

午前3時に息子が嘔吐し、シーツ交換に。
付添いは24時間いつでも対応が必要。大変だ・・・。
24時間体制で対応してくれるNHSにも感謝の気持ちは大きかった。
雑な対応が多い、、、というか多すぎるのが「玉に大きなきず」ではあるが。

午前10時にまた嘔吐。
看護師が定期的に胃の中のものを、鼻チューブ経由で吸引してくれているのだが、抜き残しがあったりして嘔吐することも。
ただ、裏を返せば、しっかり吸引しなければまだまだ嘔吐してしまう状態ということでもある。
IgA血管炎を調べているうちにたどり着いたアメブロがあり、その方のお子さんの場合は入院50日でようやく退院になったそうだ。。。

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今日で発症2週間、入院1週間。
腹痛・嘔吐などはやや減少傾向に感じていたが、紫斑は増加傾向。
薬や胃液吸引で症状が緩和されているだけで、実際のところはまだまだ山を越えていないのかも知れない。
息子の入院も長期化するかもな・・・と、何とも不安になる。

昼過ぎに妻と付添いを交代。
一週間ぶりに外の世界に触れた。

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入院前は咲いていなかった水仙がチラホラと咲いていて、春の訪れにつかの間ではあるがなんとも清々しい気分になる。
妻から家の空気の入れ替えや、掃除の続きをしておいて欲しいとお願いがあったので、思い切り大掃除をした。

妻から連絡があり、医師から、

 この病院でできる処置はもう完了したので
 明日Kingstonの病院へ戻ってもらいます

と言われたとのこと。
Kingston Hospitalであれば、家から歩いていける距離である。
病院が近くなることは看護する側としてはありがたい話であるが、一方で、設備が劣る病院に戻されることについて少々不安も感じた。
・・・が、処置が終われば元居た病院に戻るのがルールのようで、従う以外ないようだ。

数日のうちに妻と交代して病院に戻るつもりだったので、細々とした私の荷物は全て病室に置いてきてしまっていた。
明日の転院の際に、それらも妻一人で持って移動と言うのはかなり無理があったので、19時頃に一部の荷物を引き取りに再び St. George Hospitalへ。

駐車場へ到着し、妻が荷物を持ってやって来るはずだったのだが、なかなか出てこない。
暫くして連絡があり、息子の点滴の不具合調整対応が入ってしまったとのこと。
妻が医師に説明したところ、

 あなたが行くのではなく取りに来させなさい

との指示があったそうだ。

たしか、病棟に子供は入ってはいけないとの貼り紙があった気がしたのだが、、、娘を一人で駐車場に残していくと、それはそれでこの国の法律上マズイことになるし、そもそも危ないしで、娘と二人で病棟まで向かった。
そのまま病室の前まで行き、荷物を受け取ったところ、案の定

 患者以外の子供をここに連れてきてはいけませんよ!

と注意を受ける。。。
妻に指示した人とは別の人なのだろう。
いちいち反論するだけエネルギーの無駄なので、

 あ、すんません

とサラッと言ってそそくさと退散。
久々に家でゆっくり風呂に入って床に就き、次の付き添いに備え体力を回復。

  

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IgA血管炎・イギリス闘病記⑦ 治療方法の違い

2月21日(日):
発症12日目入院5日目

最初にIgA血管炎の説明をしてくれた小児科医は、

・この病気についてはNHSの治療ガイドラインがあるのでそれに従って治療をして行くつもりである
・イギリスでもプレドニゾロンを使うことがあるが、腎機能への影響が見受けられた場合に使うのが一般的

という説明をしていた。

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このガイドラインを昨夜妻がWeb上で探し当て(よう見つけるわホントに・・・)、内容を見たところ、

 腹痛は大抵の場合72h以内に治まる。
 腹痛が深刻な場合はプレドニゾロンステロイド剤)の使用を検討する。

と書かれており、、、小児科医の説明とはだいぶ異なる内容であった。
私の質問に対し、その場で出まかせを言ったのか、本当にそう勘違いしていたのか、どちらかは分からないが、不正確な受け答えに思うことは、

 ああ、、、またこういうやつか。。。

である。
息子の場合、ガイドラインにある72hはとうに過ぎているし腹痛もずっと訴え続けている。
日本では治療にこのステロイド剤を使うのが一般的のようで、夫婦間でもやはりこの薬を使ってほしいという話になり、昨夜いた夜勤の医師をつかまえてお願いした。
・・・が、ここで壁。

コンサルタントというタイトルの小児科医が治療方針を決定する権限があり、そこに話を伝えないと進められないとのこと。
ただ、その夜勤医師がガイドラインを読む限り、息子の症状にはプレドニゾロンを使ってもいいと思うので、そのようにコンサルタントに伝える、とのことであった。

そして、そのコンサルタントと話す機会を待っていたのだが、、、朝一でやってきたのは外科医であった。
転院して来た時に診てくれた外科医である。
嘔吐が続いていて、その色も芳しくないことから、腸閉塞や腸ねん転などを起こしていないか確認した方がよいとの理由で、造影剤検査を勧めてきた。
・・・これは悩んだ。

プレドニゾロンの投与をしたら治るかもしれないのに、かなり衰弱している息子にこの上さらに造影剤検査と言われても、簡単に

 はいそうですか

などと言えない。

その前にプレドニゾロンの投与について話をしたいと伝えるも、ここでまた縦割りの壁。
日本の主治医のような考え方はNHSでは存在せず、小児科医と外科医はそれぞれが独立して動きを取るようで、

 私は外科医なので、その件について話すことはできない。
 小児科医にあなた方の希望を伝えることはするが、
 外科医の視点からの提案しかできない。

というのが外科医の返事。
本当に小児科医に希望を伝えてくれるか怪しいもんだが、とりあえず造影剤検査の詳細を聞くと、

 鼻チューブから造影剤(バリウムではない)を注入する。
 その後のレントゲン検査は20分くらいかかる。

とのことであり、息子の体力が不安ではあったが、小児科医が来るのもいつになるか分からないので、検査をしてもらうことにした。

検査場であるレントゲン室までの移動は、ポーターと呼ばれるスタッフが担っており、息子が寝ているベッドをそのまま押して行ってくれる。
昨日の鼻チューブほどではないが、何度も何度も検査場へ連れて行かれることにストレスを感じ、

 もうやだよぉ~~
 やりたくないよぉ~~

と泣きながら訴える息子を励ましつつ検査場へ移動。
検査の最中も、左・上・右向き、と、次々に体の向きを変える必要があり、その都度苦痛を感じるようで息子はずっと泣いていた。

リアルタイムでレントゲン映像がモニタに映し出されるのだが、造影剤が途中で流れなくなったように見えて、一瞬閉塞しているのかと思いヒヤッとしたのだが、どうやらこの検査は胃から小腸の手前くらいで終わりらしく、単に終点に達しただけであった。
この後、残りの部分は普通のレントゲン検査を受け、問題なしとのことであった。

病室に戻り、小児科医が来たのは昼過ぎであった。
医師との会話は妻にも参加してもらった(というかほとんど妻がしゃべってくれたが・・・)。
日本の治療論文の英語版を見せたり、ガイドラインの内容をもとに会話した結果、コンサルタントガイドラインを確認し、今日中にプレドニゾロン投与可否の結論を出すということで約束してくれた。

入院開始から今日まで息つく間もなく検査の対応、調べ物、息子の看護を続けてきて、ここでやっと一息ついた感があった。

思い返してみると、ここ数日は本当に息子のことだけを考えていた。
見せかけだけでもと強く振舞い、背中を押すような言葉を無理やりかけ続けてきた。
まだまだ幼い六歳の男の子にとって酷でしかないということも分かっていたが、それでも本人の前ではその態度を変えることはできないわけで、そんな状態が続き私もだいぶ情緒不安定になっていた。

息子が寝るベッドの横に大きな窓があった。
その窓枠から見える景色を見て、

 これが東京のそれであればどれだけ良かっただろう・・・

などと悲観的な事ばかり考えるようになっていた。

昨日今日と息子の担当になっていた看護婦は親切な人で、一息ついたこの瞬間に

 お父さんお疲れでしょう、今日はまだコーヒー飲んでませんよね?お持ちしますよ。

というようなことを言ってくれ、情緒不安定な私は不意に掛けられた優しい言葉に感極まって号泣。
彼女の名前は、親しくしてくれている英国人D爺の奥さんと名前が同じで、

 もしかしたらこの名前は私らにとってラッキーネームなのかもしれないな?

などと思いながら、彼女にお礼を言って少し座って待っていた、、、が、彼女はそのまま戻ってこなかった。
こんなのも海外あるあるだ。・・・まあ、きっと、忙しかったのだろう。

最初に持ち込んできた衣類や日用品も尽きかけていたので、妻と娘がいろいろと追加物資を持ってきてくれた。
荷物の受け渡し場所は駐車場。
息子の病室は、駐車場から最も離れた病棟の5階にあり、駐車場までは6、7分かかる。
往復で15分ほど病室を開けることになるが、息子も鎮痛剤が効いている時は落ち着いているので、近くにいた看護師に少し不在にすることを伝えてから駐車場に向った。
駐車場に行くと妻と娘が待っていて、娘が笑顔で駆け寄って来てくれた。
息子が病室で待っており長居はできないので、顔を合わすことが出来たのはほんの15秒程度。
荷物を受け取って別れた後に振り向くと、泣いている娘の後ろ姿が見えた。
・・・これもまた辛い。
ロックダウンの影響で、一日中家で子供たちの相手をすることに辟易していたのはほんの数日前のこと。
安穏と過ごす日常はこうも急激に変わってしまうものか。
当たり前のように過ごしていたあの時間が、いかに恵まれたものであったのかをひしひしと感じされられるばかりだ。

昼過ぎにコンサルタントに治療方針の検討を依頼し、

 あとは息子にプレドニゾロンの投与をしてもらえれば見通しも明るいだろう。

・・・と思っていたのだが、夕方に再度説明をしに来てくれたコンサルタントの判断は、

 プレドニゾロンは使わない

であり、期待に反するものであった。

 ガイドラインに書いてあるのに何故そのような判断になるのか?

と質問したところ、

 この疾病でプレドニゾロンを使った実績が少ない

というのがコンサルタントの答えであった。

 ではどのような症状ならプレドニゾロンを使うのか?

と聞いてみたが、

 コンサルタント一人の判断ではなく、薬の専門家や、同じ病院内の医師とも討議した結果の判断。
 ガイドラインに書いてある内容とは異なるが、当院の判断はこうなった。

とのことで、結局ピンボケ回答しか得られず、食い下がってはみたものの結論は変わらず。
話の感じから、どうやらこのコンサルタントはIgA血管炎の治療でプレドニゾロンを使った経験が無いようだった。
対処療法を続けているだけで自然治癒することも多い病気なので、自信の持てない投薬に関して責任を負いたくなかったのだろう。
期待していただけに落胆も大きかった。

プレドニゾロンの望みが消え、あとは息子の生命力に頼るしかなくなってしまった。
発症から今日までの12日間、息子は飲み物以外ほとんど口にしておらず、目に見えて痩せ、衰弱していた。

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回復の手助けに何かできることは無いかと考え、息子の足を積極的に揉むようにした。
我々夫婦は健康法としてもうかれこれ10年以上足ツボマッサージを続けていて、どこにどのツボがあるのか大体頭に入っている。
副腎のツボを押すと体内のステロイド分泌が促進されるので、ステロイドつながりで多少なりプレドニゾロンの代替効果が得られるのではないか?との考えから、これまで1日1回程度軽く揉んでいたのを、少し強めに丁寧に、回数も増やして揉むようにした。

すると、最初に強めに揉んだ1時間後くらいに、少しオモチャで遊びだすようになった。
強めの足揉みが効いたのか?これまでの軽い足揉みが効いたのか?それとも単に病のピークを越えたのか・・・?どれか分からないが多少なりとも好転が見られたのだから止める理由はない。子供の足は小さい。片足10分もあれば揉めるのでこの後も頻繁に揉むことにした。

息子が寝ているすきに付添者向けのシャワー室へ。
妻が持ってきてくれた入浴道具一式で5日ぶりに体を洗った。
本当に目まぐるしい5日間だった。
10分くらいの行水であったが、この10分の確保すら困難な5日間であった。

看護師の方々は2交代制で、毎日9時と21時に交代の引継ぎミーティングを開いていた。
ちょうどこの時間にシャワーを浴びていたのだが、病室に戻ったところ、ホットコーヒーの入ったマグカップが置かれていた。
昼間の約束は忘れられたと思っていたが、ちゃんと覚えていてくれて、退勤前に作って行ってくれたようだった。
温かいうちにありがたく飲ませてもらった。

入院初日から今日まで、1日どのくらい睡眠をとったのかよくわからない。
細切れに30分とか1時間の睡眠をとっていたような気はするが、ほとんど寝ずに今日まで来ている。
気が張っていて疲れを感じないが、無理が効く歳でもないので、近々妻と看護を交代してもらうことにした。
 

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IgA血管炎・イギリス闘病記⑥ ストレスマックスの日

2月20日(土):
発症11日目入院4日目

昨日は何度か看護師や医師が来たものの、結局検査以外の医療行為は一切完遂されることなく一日放置された状況であった。
医師の回診は午前中に一度。
コロナ対応で医師が少ないらしく、午後にずれ込むことも多々。
そして、困ったことに毎日違う小児科と外科の医師がそれぞれやって来る。
もちろん綿密な連携や引継ぎもなどされておらず、何が起きたのかについて毎日同じ質問を繰り返してくるので、都度最初から説明しなくてはいけない。
こういった情報共有のレベルについては、我々夫婦の場合は

 日本のレベルが異常に高い

と思っている。
世界的に見てマイノリティーは日本であり、これが世界標準なのだ。

 海外でも日本同等のサービスレベルを享受できると思い込んで
 それに甘んじているとロクなことにならない

と思っているし、実際ロクなことにならなかった経験が公私共に何度もあったりする。
この点をしっかり念頭に置いた上で、想定できる展開に対し、可能な限り準備した上で物事に臨まないと、結局自分が痛い目に遭うだけなのだ。

実際に、A&EやGPで何度も同じ説明をさせられたという経緯もあり、妻が、

 息子が発症した日からの症状を時系列で纏めた資料

を作成してくれていたので、毎日のように同じことを聞いてくる病院のスタッフたちにはその紙を見せて説明していた。

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単純な方法ではあるけども、この紙のおかげで説明する側・される側共に非常に効率的に話を進めることができた。
毎回記憶をたどって答える必要もなかったし、記憶違いによる誤回答も無かったし、医師からの評判もすこぶる良かった(中にはコピーを取った医師もいた)。

そしてこの日もまた、新しい医師が来て同じことを聞いてきたので、紙を見せてこれまでの病状や治療を説明。
で、昨日は結局何もしてもらえていないので、何かしらの医療処置をすぐにやってほしいと依頼。

息子の症状(嘔吐、腹痛が続いている)から、またも腹部エコー、そして点滴、検尿、検便、血液検査。さらに嘔吐の負担を減らすために、鼻からチューブを入れて定期的に胃の中のものを吸引するということになった。

・・・で、この鼻チューブが大変だった。。。超大変だった。。。
この入院生活の中で瞬間最大風速を叩きだしたのはこの鼻チューブ。
思い出したくもないほど大変だった、、、書きたくないほど大変だった、、、と、予めこのくらいハードル上げとかないと描写が生々しくてドン引きされる気もするので、あえてここでハードル上げ。

息子の嘔吐の色は緑濁色だったのだが、これは腸の動きが悪いことが原因。
飲食したものが体の中で順方向に進まない時にこういった色になる。
この状態だと何も食べていなくても、胃に胆汁などが溜まり、ある程度溜まったら再び嘔吐してしまう。
腸の動きが回復して巡りが良くなってくると、胃液の色もクリアになってくる。
それまでは嘔吐を繰り返すことが予想されるので、体力の消耗を防ぐためにも鼻から胃にチューブを入れて、定期的に吸引する必要がある。

・・・と言うのが医師の鼻チューブに関する説明。
特に反対する理由などないので挿管となったのだが、チューブを入れられた瞬間、息子が初めての感覚に超パニックに・・・。
激しく騒ぎ暴れ、

「死んじゃう!死んじゃうよ!!」

と叫ぶ息子。

「大丈夫!大丈夫だよ!」

と焦って声をかけるも聞き入れられるような状態ではない息子。
そして

「指が動かない!!指が動かない!!!」

と叫ぶ息子の手足を見ると、指がこわばって変な形で固まってしまっていた。
それを目の当たりにした私も超焦った。
このままだと本当にショックで死んでしまうと思ったので挿管を止めてもらえるよう狼狽しながら頼んだのだが、看護婦たちにとっては珍しい光景ではなかったようで、

「パニックになっているので、なにか気を引くものを見せてあげてください!」

と逆に指示が飛び、いそいでスマホポケモンの画面などを見せた。
これが効いたとは到底思えないが、少しして息子の手足のこわばりは解けた。

それでも、やはり鼻チューブによる喉の痛みや違和感が耐えられないようで、泣きながら訴え続ける息子。
この違和感に慣れてくれるまで待つしかないのだが、見ているこちらも拷問のような時間であった。

そして続けざまに腹部エコー検査。
病気から来る苦痛と、治療から来る苦痛を与え続けられ、息子のストレスも相当なものになっていた。
息子が泣いて訴えるたびに励ましの言葉をかけていたのだが、腹部エコーへの移動中に息子が

「パパ僕を殺そうとしてる!!」

と叫んだ。

・・・こんなことを叫んでしまうほど苦しんでいる我が子を見ていてなんとも形容し難い辛い気持ちになった。。。が、それでも励まし続ける以外できることがない。手を握ったり背中をさすったりしているうちにチューブの違和感に慣れてきたようで、なんとかスマホでゲームをするくらいに落ち着いてくれた。

今回の腹部エコーを担当してくれた医師は、室内にあるテレビで子供向けの映像を流してくれた。
息子もそれでだいぶ気が紛れたようであった。
こんなのあるなら最初っから流してほしかったが、こういう気の回らない人たちが多いのも海外あるあるだ。

病室に戻り、少し目を離したすきに息子が自分で鼻チューブを抜いてしまうアクシデント発生。
チューブがなぜ必要なのかを言い聞かせ、当然ながらもう一度挿管することに。
さっきのパニックがあったので見ている私も不安でたまらなかったが、2回目ということもあり息子も心の整理がついていたようで難なく完了。
ほっと胸をなでおろす。

コロナの影響で、付き添えるのが私だけだったのだが、これは返って良かったのではないかとも思った。
母親である妻がこういったシーンを目の当たりにしたら、きっと妻は私よりもはるかに消耗していたと思うし、
父親である私がこれを目の当たりにしていなかったら、きっと現実味を持って息子の病状を受け止めることができず、もっと浅はかな対応をしていただろうと思う。

付き添っているのは私だが、やはり妻の方が色々と気が回るし英語も上手い。
私だけが医師と会話していると、治療において何らかの不利益を被りかねないと思い、この日から医師との会話の際はスピーカーホンで妻にも参加してもらうようにした。

頭では治る病気だと分かっていても、息子が苦しみ衰弱していく姿を目の当たりにしていると、やはり心もとても辛い。
心が張り裂けそうってのはこんな状況のことを言うんだろうな、と思った。

母親よりも父親の愛情は浅いと思っているのだけど、、、そんな私でもこの数日で大分情緒不安定になってきた。
ちょっとした刺激ですぐ泣くおっさんと化してしまっていた。

振り返ってみると、この日が過酷度のピークであったと思う。

 

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ハイボールが飲みたい

息子の闘病記を綴っていますが、なんだか全10話前後くらいの長編になりそうで息が詰まるので、適当に小休止的な投稿もしたくなってこんな話を。

 ウィスキーーーが、お好きでしょーー♪
 もうすこーーーし、しゃべりましょーー♪

って感じのCMにご出演なさっている美しい方々にまんまとほだされて、まんまとハイボールが好きになってしまった、日本で石を投げたら当たるくらいいるオッサンのうちの一人の私なわけですが、そういえばもうかれこれ1年半ハイボールを飲んでいないことに気づいてしまって、無性にハイボールが飲みたくなってしまいました。

ウイスキーと炭酸水なんて別にイギリスでもめちゃくちゃ売ってるわけで、なんならサントリーウイスキーですらいつも買い出しに行ってるASDAで見かけちゃったりするわけですよ。

だからイギリスでのハイボール実現のハードルなんて、アラフィフ初心者の私からすれば小学校低学年並みの実現ハードルなわけで、ちょっとその気になれば小一時間でシェーのポーズ決めながらでも飛び越えられるくらい低いわけです。
まあ、小学校中学年くらいのハードルになると足引っかかってすっころんじゃいかねないので、あまり油断できないんですけどね。

とはいえ、めちゃめちゃハードル低いわけですから、昨日食料の買い出しに行った際にいつも素通りしているワインとかウイスキーとか置いてるゾーンに足を踏み入れてみました。

ちゃんとウイスキーが置いてあって、あっさりとジャックダニエルとか発見しちゃったりしたのですが、

 日本でも普通に見かける銘柄なんて買いたくないよね~

という虚栄心みたいのが思いがけず働いちゃって、

 日本では見たことのない英国ならでは!

ウイスキーを求めて琥珀色のお酒を少々物色してみたのですが、、、そんな私の目に飛び込んできたのが

 キャプテン・モーガン

という海賊風の御仁がバーンとラベリングされているお酒。
ワンピース大好き中年の私が「海賊」「モーガン」ときたら瞬時にはじき出される答えはモーガン大佐」

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 ・・・こ、ここ、これは、、、もしかして、あのモーガン大佐の元ネタだったりする

んじゃないの??
めちゃめちゃ興味を惹かれてしまったのですが、私が飲みたいのはハイボール

 ハイボールウイスキー+炭酸水

ですから、ウイスキーじゃないといけません。
目的達成のためにはこのお酒がウイスキーなのかどうなのか?がとても重要です。
でもお酒のうんちくなんて全然知らないので、マジマジの実のマジマジ人間のようにマジマジとラベルを見てみたのですが、、、どこにもウイスキーの文字は無し。でもアルコール度数は35度で、色は琥珀色・・・。

 ウイスキーって書いてないけど、、、同じような売り場に置いてあるし、
 琥珀色だし、度数もウイスキーと同レベルだし、、、
 うん!これでもハイボールの類似品にはなるだろう!

という感じで、大分ワンピースに思考を汚された感じで考えがまとまり購入。
帰宅後に奥様にハイボールを飲みたいからこれを買ったんだみたいな感じで話をしてみた所、、、

 ウイスキーってもっと色濃くね?
 RUMって書いてるけど、ラム酒じゃね?

と、身も蓋もない、わびもさびもないツッコミが入りました。
確かにちっちゃくRUMって書いてあるわ・・・。マジマジ人間見落としてたわ。。。

なんかもう、このツッコミで詰んじゃってる気もするんですが、1リットル瓶を買っちゃったもんですから悪あがきしたくなる心理が働くわけで、

 ・・・いや、でも、おなじ蒸留酒みたいだし、、、
 ハイボールに当たらずとも遠からずでいけるでしょ?

と、強引に理屈をこねて、いざ晩酌 with ストックしてある炭酸水。

モーガン大佐をグラス1/4くらい注いで、炭酸水のペットボトルの蓋を開けてみましたが・・・、

 プシュッ

って言わない。

 No プシュッ、 No 炭酸水

なのにプシュッて言わない。。。

 ・・・あぁ~、この炭酸水、買ったの3か月以上前だしな~、、、
 さっさと飲まなかったから気が抜けちゃったんだなぁ・・・

結果だけ見ると、小学生低学年レベルのハードルに見事に引っかかり、ハイボールとはかすりもしない、ラム酒を気の抜けた苦いだけの水で割った水割りを飲んでいる金曜の夜です。・・・まあ、美味しいんでいいんですけどね。

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 ありふれーーーた、話でしょーーー♬
 それでーーーいいのーーーいまはーーー♬

 

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IgA血管炎・イギリス闘病記⑤ ようやく病名が判明

2月19日(金):
発症10日目 入院3日目

この日も腹部のエコー検査。
昨日、転院前に1回、転院後に1回。実に3回目の腹部エコー検査である。
エコーのユニットを腹部に押し付けられるのが痛いようで、検査中はずっと励ますように息子に話しかけていた。

 「大丈夫だよ!」
 「もうすぐ終わるよ!」

入院3日目にしてこの励ましの言葉を何度言ったか数えきれぬほどである。

検査結果は、

 腸壁が若干厚く腫れているようだが他に問題は無い

とのことで一安心、、、というか毎度同じ結果なのだが、なぜ何度もやるのだろうか?
検査回数が多いほど誤診は減るのだろうけど、ここまで頻繁にやる必要性もなんだかよくわからなかった。

その後、病室に回診に来た医師から「Henoch–Schönlein Purpura(=IgA血管炎)」の疑いがあるとの話があった。
この診断スピードは、日本の医療レベルと比べると遅いのか、それとも同レベルなのか、一体どっちなのだろう??どう控えめに言っても遅いとしか思えないのだが。。。

こっちの医師のレベルが低いのか?それとも、英国では珍しい疾病であり診断そのものが難しいのか?
答えは分からないが、医師でもなんでもない妻でさえ割と早い段階でこの病気ではないかと疑っており、GP受診当初から紫斑について毎回医師に伝えていたにも関わらず、医師側から「HSP」という言葉が出たのはこの日が初めて。

 素人のにわか調査よりも診断スピードが超遅い

という現実に対し、これから先の治療レベルについても不安を感じずにはおれなかった。

一方で、ようやく確度の高い病名が判明し、また、時間はかかるものの完治する病であることも分かり、先の見えなかった状態から少しゴールが見えてきた気がした。

この日、息子は下痢をこらえるのが難しくなり、下着とズボンを何度か破棄せざるを得ないほど汚してしまいった為、ナースにお願いして紙おむつを支給してもらった。

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また、家で色々と情報収集をしていた妻がHSPの論文を探し当て(・・・ようこんなん探し出すわホントに)、日本ではプレドニゾロンというステロイド剤を使うのが一般的な治療であるということも分かった。

午後になり、病院側が手配してくれた通訳の方が突然現れてびっくり。
思わぬところで日本の方と話す機会が得られ、私も病名が分かって少し安堵していたこともあったので、待機時間に少し雑談などして過ごした。
話によると、登録制の通訳会社があるそうだ。
この方はそこに登録していて、今朝依頼を受けたとのこと。
通訳会社がカバーしている言語についても興味があったので伺ってみた所、やはり移民の国だけあって相当広く、聞いたことないような言語の通訳者も登録されているそうだ。
まあ、日本語も世界的に見ればマイナー言語なわけで、日本語がカバーされている時点でカバー範囲の広さは推して知るべしだったのかもしれない。

通訳の方の補助をうけ、医師の説明を一通り理解。
やはり検査結果や症状からもHSPで間違いないだろうとのことであった。
ついでに、

 日本ではHSP治療にはプレドニゾロンという薬が一般的らしいのだが、
 この国でもこのステロイド剤を使うのか?

と尋ねた所、ドクターの答えとしては、

・イギリスでもその薬を使うことがあるが、腎機能への影響が見受けられた場合に使うのが一般的
・この病気についてはNHSの治療ガイドラインがあるのでそれに従って治療をして行くつもりである

とのことであり、すぐにプレドニゾロン投与となるわけでは無さそうであった。

ひとまず今日は通訳の方が来てくれたので何とかなったが、ただでさえ聞き取れない英語に加え、医療用語のオンパレードで病院スタッフの説明がさっぱり理解できない。
このままだと色々と支障をきたすことが目に見えていたので、腸閉塞、腸、腹痛、検尿、、、など、よく使いそうな医療英語をノートに書き留めておいた。
また、そもそも日本語でもなんだかわからない医療器具などもあり、それについてはナースに


「これはなんて言うんですか?」


と質問して教えてもらい、同様に書き留めておいた。

腹痛:tummy ache/pain
点滴:infusion
尿:pee/urine
便:poo/feces/stool
エコー検査:ultra sound
麻酔クリーム:anesthetic cream(cream で通じる)
点滴薬の品名:Fluid
腫れる:swell
腸:intestinum, bowel
腸重積:intussusception
鎮痛剤:paracetamol
塞ぐ:obstruct

などが、良く会話の中で出てきた単語。
何となく持ち込んでおいたノートと筆記用具であったが、早くもこの入院生活では欠かせないものとなっていた。
まさにサバイバル英語だ。。。

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和名すら分からず困っていた「点滴用の腕に刺しっぱなしにするやつ」は、Cannula(カヌラ)と言うそうだ。
これの交換が必要になり、看護士たちがやってきたが、何か手違いがあったらしくそのまま処置をせずに帰ってしまい、戻ってくることは無かった。
結局この日は投薬や点滴といった医療行為は一切ないまま放置。
こういう悪意の無いずさんな対処は、やはり海外は日本よりも多いと思う。

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息子の足は昨日と比べても明らかに紫斑が増えており、いよいよHSPだという確信を得る。
嘔吐は二回。うち一回はめん棒を使った検査が雑で嘔吐を誘発させられたもの。
下着・おむつ交換は計五回。
腹痛と吐き気の訴えは少し減ったが、昨日よりも衰弱している感じは否めなかった。

異文化、異言語の壁に直面し、今後の不安が徐々に高まった日でもあった。

 

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IgA血管炎・イギリス闘病記④ 本格的に入院

2月17日(水):再び入院
発症8日目 入院1日目

息子の症状は悪化はしないものの、改善も全く見受けられないため、再度GPで受診することに。
夕方くらいに予約が取れ、妻が息子を連れて診察を受けた。
ちょうどカルポルの効き目が切れた時間帯で、息子がドクターの前で激しく腹痛に悶えるさまを披露したため、そのまま救急車で近場の大きな病院である Kingston Hospital へ運ばれ入院となった。

後から妻が言うには、カルポルが効いている状態で診てもらっても意味が無いと思っていたそうで、息子には可哀想だけど敢えて薬を飲ませずに診察を受けるようにしたそうだ。

でもまあ確かに、鎮痛剤が効いている状態でドクターに診せても、またよくわからないものを処方されて様子見をするよう言われて帰されて終わっていたと思うので、これはこれでファインプレーだったのではないかと思う。

Kingston Hospitalの小児科へ到着後、また水のみチャレンジをやらされつつ、入院の手続きが進められ、

 付き添いの親は一人しか登録できない

と言い渡された。
コロナ感染予防で人の出入りは極力減らす方針だそうだ。

妻は仕事があるので、どう考えても休職中駐夫の私が登録するのが妥当。
妻はイギリスに来てから車の運転を一切していなかったので、その点にかなり不安が残ったがそうも言っていられない状況になってしまった。

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日付が変わる少し前の23時半頃に、私と娘でKingston Hospitalまで車で移動し、妻と付き添いを交代。
病室にいた息子は点滴で落ち着いた様子だった。
大病でないことを祈りつつ、息子の入院に本格的に付き添う先の見えない日々が始まった。


2月18日(木):転院
発症9日目 入院2日目

鎮痛剤や栄養剤などを点滴してもらい、息子の状態も安定し始めた。
ただ、痛みについてはパラセタモールで抑え込んでいるだけであり、実際に病が治ってきているのかは分からない。
この日はKingston Hospitalで血液検査、腹部の超音波検査を受けた。
超音波検査の後、

「腸重積の疑いがあり、もっと設備の整った病院で再検査する必要があるのでそちらに移動してもらいます」

との連絡があった。
移動先はなんと、先日A&Eに訪れたSt. George Hospitalであった。

 なんだ、、、結局またあそこに行くのか。。。

という思いもあったが、腸重積についてにわかながら調べてみると、発症から時間が経っていたら患部が壊死したりして、その場合は手術が必要になるとも書かれており、あまり病気として穏やかなものでもないことも分かった。

 遡って数えてみると今日で最初の腹痛嘔吐から
 9日経過してしまっている・・・。


もし腸重積であればかなり時間も経ってしまっているし、開腹手術などになると一気に命に係わる話になってくるし、その後の後遺症なども気になるしで、、、不安と緊張が一気に高まった。
ただ一方で、

 もし腸重積だとしたらこんな軽い鎮痛剤なんかで痛みは
 収まらないのではないだろうか?


という思いもあり、ごちゃごちゃ考えたり妻と連絡を取ったりしているうちに2時間半ほど経ち、

 転院先の受け入れ承諾が取れたのでこれから移動です

と言われ、まとめておいた荷物を持って移動。
移動は救急車に乗って15分ほどであった。
18時過ぎの道路が混雑している時間帯での移動で、救急車サイレン鳴らしまくりの移動。
急発進、急停止、急方向転換が多く、たったの15分であったが私は思い切り車酔い。
幸い、横になっていた息子は何ともなかったようだったが・・・。

転院先に到着後、また1時間程待たされ、外科医の診察を受け、再び腹部の超音波検査。
さらに再度の血液検査と、入院前のコロナ検査。
血液検査については、子供なので血管が細いのか、この時の採血はうまくポイントを探り当てることができず、何度も針を刺された上に失敗・・・。
息子はこの数日で何度も何度も腕に針を刺されていて精神的にもかなり参っていた。
別の医師が後で来るとのことだったのだが、こちらも針の痛みに泣きながら耐える息子の姿を見ていられなくなり、以降はお願いして必ず麻酔クリームを塗布するようにしてもらった。

21時頃までとりあえずの診察室で待機し、その後個室へ移動。
息子は少し回復したのか、ほんの少し(パン一口程度)だけど食事をするようになった。

そしてこの日、妻から

 「おそらくIgA血管炎ではないか?」

と言う話を聞き、初めてその病名を知った。

 

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IgA血管炎・イギリス闘病記③ 考えるな!カルポれ

2月14日(日):再び救急、そして入院
発症5日目

昨日のA&Eで

 またおなかが痛くなったらカルポルを飲ませるように

との指示があったので、この日の朝に買い物ついでに薬局によってカルポルを購入してきた。
このCalpol(カルポル)という薬、昨日息子が飲んだパラセタモールが主成分の市販薬。
どうやらイギリスでは「子供の病気の万能薬」的な扱いを受けているようで、何かあればまずカルポルといっても過言ではないくらい浸透している。
熱とかしんどいとか嘔吐とかのどが痛いとかおなかが痛いとか・・・、あらゆる症状に対し、

 とりあえずカルポって様子見て

って診察が英国の小児治療の王道のよう。
その信頼度たるや、


 「Don't think! Calpol.(考えるな!カルポれ)」

と言わんばかりである。
もし私がカルポルのCMを作ることができるなら、是非ブルースリー似の誰かにこれを言わせたい。

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・・・でも現実にCMを作ることは不可能なので合成して画像だけ作ってみた。

カルポルを飲むと10分ほどで痛みが治まるようで、その後2,3時間はうなされなくなったり、寝たりと、小康状態が続く。
・・・が、その後はまた腹痛、吐き気、嘔吐の症状が繰り返される。
いろいろとググった結果から、この時点では、

 体の糖分不足でこういった不調が現れているのではないか?

と思っていたので、

 やはりジュースなどをちびちび飲ませるだけじゃなく
 点滴をしてもらわないと快方に向かわないのでは?

との考えで、再び妻が111。

昨日の今日なので話の通りも早く、再び昨日と同じ病院に行けることになったのだが、定型の事前質問も再回答が必要になるようで、また通訳の方の助けを借りながら通り一遍の回答をこなす。
病院からのコールバックで、病状に改善が見受けられないのはおかしいということで、18時過ぎの予約が取れ、再びA&Eへ。
昨日同様にまた診察には時間がかかるだろうということで、私と娘は一旦帰宅。
この日はまた5 min Oral drinking challengeで様子を見るように言われたそうなのだが、妻が

 それは昨日2時間やった。
 それで改善がなく再度来ているので、違う検査や点滴などの治療をしてほしい。

と医者に要請。
結局 5 min Oral drinking challengeはやらされたのだが、他にも血液検査、尿検査、点滴などの治療を受けることができ、さらに

 このまま2,3日入院していきなさい

との診断が下ったのが22時ころであった。
妻から連絡があり、今夜は着の身着のままで過ごせるとのことで、この日は再び病院に行くことなく私と娘は就寝。
ママと弟が帰ってこないと聞いた瞬間に娘は号泣したのだが、そのあとオンラインゲームをやらせたらあっさり収まった・・・。


2月15日(月):退院
発症6日目

早朝、妻から連絡があり、

 息子が何か食べることが出来たら退院して良い

との診断が出たそうで、少々時間を要したが午前8時頃には飲食ノルマを達成して帰宅許可がでた。
帰宅後も腹痛は訴えるものの、NHSの指示通りカルポルを飲ませると小康状態に。
そしてカルポルの効き目が切れたころにまた

 気持ち悪い
 おなか痛い

と訴え始め、、、の繰り返し。
翌2月16日も同様の状況が続いた。
 

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