人生の夏休み 〜ロンドン駐夫の記録〜

「どうも、キャリアウーマンです」なワイフにライフを激しくコントロールされまくる、日々をまったり過ごしたいアラフォー終わりたての中年男子です。 職場の理解も快く得られ、晴れて休職。子供(姉・弟)と共に、妻の転勤、駐在に帯同する形で地球の裏側まで引っぱられ、ただ今初めての駐夫・専業主夫を経験中。 ほぼ同内容のInstagram【ID : @pondotaro】をこちらで清書。渡英前の事なども順不同でつぶやきます。

IgA血管炎・イギリス闘病記④ 本格的に入院

2月17日(水):再び入院
発症8日目 入院1日目

息子の症状は悪化はしないものの、改善も全く見受けられないため、再度GPで受診することに。
夕方くらいに予約が取れ、妻が息子を連れて診察を受けた。
ちょうどカルポルの効き目が切れた時間帯で、息子がドクターの前で激しく腹痛に悶えるさまを披露したため、そのまま救急車で近場の大きな病院である Kingston Hospital へ運ばれ入院となった。

後から妻が言うには、カルポルが効いている状態で診てもらっても意味が無いと思っていたそうで、息子には可哀想だけど敢えて薬を飲ませずに診察を受けるようにしたそうだ。

でもまあ確かに、鎮痛剤が効いている状態でドクターに診せても、またよくわからないものを処方されて様子見をするよう言われて帰されて終わっていたと思うので、これはこれでファインプレーだったのではないかと思う。

Kingston Hospitalの小児科へ到着後、また水のみチャレンジをやらされつつ、入院の手続きが進められ、

 付き添いの親は一人しか登録できない

と言い渡された。
コロナ感染予防で人の出入りは極力減らす方針だそうだ。

妻は仕事があるので、どう考えても休職中駐夫の私が登録するのが妥当。
妻はイギリスに来てから車の運転を一切していなかったので、その点にかなり不安が残ったがそうも言っていられない状況になってしまった。

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日付が変わる少し前の23時半頃に、私と娘でKingston Hospitalまで車で移動し、妻と付き添いを交代。
病室にいた息子は点滴で落ち着いた様子だった。
大病でないことを祈りつつ、息子の入院に本格的に付き添う先の見えない日々が始まった。


2月18日(木):転院
発症9日目 入院2日目

鎮痛剤や栄養剤などを点滴してもらい、息子の状態も安定し始めた。
ただ、痛みについてはパラセタモールで抑え込んでいるだけであり、実際に病が治ってきているのかは分からない。
この日はKingston Hospitalで血液検査、腹部の超音波検査を受けた。
超音波検査の後、

「腸重積の疑いがあり、もっと設備の整った病院で再検査する必要があるのでそちらに移動してもらいます」

との連絡があった。
移動先はなんと、先日A&Eに訪れたSt. George Hospitalであった。

 なんだ、、、結局またあそこに行くのか。。。

という思いもあったが、腸重積についてにわかながら調べてみると、発症から時間が経っていたら患部が壊死したりして、その場合は手術が必要になるとも書かれており、あまり病気として穏やかなものでもないことも分かった。

 遡って数えてみると今日で最初の腹痛嘔吐から
 9日経過してしまっている・・・。


もし腸重積であればかなり時間も経ってしまっているし、開腹手術などになると一気に命に係わる話になってくるし、その後の後遺症なども気になるしで、、、不安と緊張が一気に高まった。
ただ一方で、

 もし腸重積だとしたらこんな軽い鎮痛剤なんかで痛みは
 収まらないのではないだろうか?


という思いもあり、ごちゃごちゃ考えたり妻と連絡を取ったりしているうちに2時間半ほど経ち、

 転院先の受け入れ承諾が取れたのでこれから移動です

と言われ、まとめておいた荷物を持って移動。
移動は救急車に乗って15分ほどであった。
18時過ぎの道路が混雑している時間帯での移動で、救急車サイレン鳴らしまくりの移動。
急発進、急停止、急方向転換が多く、たったの15分であったが私は思い切り車酔い。
幸い、横になっていた息子は何ともなかったようだったが・・・。

転院先に到着後、また1時間程待たされ、外科医の診察を受け、再び腹部の超音波検査。
さらに再度の血液検査と、入院前のコロナ検査。
血液検査については、子供なので血管が細いのか、この時の採血はうまくポイントを探り当てることができず、何度も針を刺された上に失敗・・・。
息子はこの数日で何度も何度も腕に針を刺されていて精神的にもかなり参っていた。
別の医師が後で来るとのことだったのだが、こちらも針の痛みに泣きながら耐える息子の姿を見ていられなくなり、以降はお願いして必ず麻酔クリームを塗布するようにしてもらった。

21時頃までとりあえずの診察室で待機し、その後個室へ移動。
息子は少し回復したのか、ほんの少し(パン一口程度)だけど食事をするようになった。

そしてこの日、妻から

 「おそらくIgA血管炎ではないか?」

と言う話を聞き、初めてその病名を知った。

 

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