IgA血管炎・イギリス闘病記② 医療相談に通訳が付く
2月12日(金):自宅療養
発症3日目
昨日処方された経口補水液を飲みながら自宅療養。
特に病状に変化はなく、腹痛・吐き気の訴えと小康状態の繰り返し。そして熱は平熱。
腹痛を訴え始めた後からは飲むことしかできず、もう3日何も食べていない息子。
点滴をしてもらったほうが良いのではないか?との思いから、妻が日本人向けの医療施設に連絡してみるも、施設規模の関係から点滴はできず、NHSなどへの紹介状を書くに留まるとのことであった。
2月13日(土):救急受診
発症4日目
病状に何も改善が見受けられないため、再びGP受診すべく妻が電話。
しかしながら土曜日ということで111(医療相談電話)へ電話するよう自動音声が流れ、初めての111。
受付の方に状況を説明したところ、A&E(救急)の受診を手配してくれて、14時半からTootingという場所にあるSt. George Hospitalという大学病院へ行けることになった。
こういった現状打破に向けた妻の行動力は、私とは比べ物にならないな、、、と常々思うのだが、今回もまた然りである。
Tootingは聞いたことのない地名だったが、Wimbledonのすぐ隣の地域で、家から車で20分ちょいといった所。まあまあ近かったので、息子の体力的にもありがたかった。
111の対応でちょっと驚いたのが、我々のような英語ネイティブじゃない人間が電話をすると通訳をつけてくれる点。オペレータの方に
母国語は何か?
と尋ねられ、答えるとその通訳(日本人)が通話に参加してきてくれる・・・。
救急に行くとなった場合、コロナ症状有無の確認など、YES/NOで答えなくてはいけない定型確認項目が結構な数(15分くらいかかる)あって、それをスムーズに進めるためには通訳がいたほうが断然ありがたいのだが、、、なんだかこういう点は
さすが移民の国だな・・・
と感じた。
ちなみに、通訳がつくのは111の受付対応だけで、その後かかってくるA&Eのドクターからのコールバックは、英語でやり取りが必要になる。
病院到着後、病棟に入れるのは子供一人につき親一人ということだったので、私と娘は車に居残り。
2時間ほど駐車場で待機していたが、診察を受けた後に追加の血液検査や、5 min Oral drinking challenge という、5分おきに水を10mlずつ飲ませるというテストを仰せつかったとのことで、、、要するにまだまだ帰れそうにもないから一度家に戻っていいよとの連絡が妻からあって、いったん私と娘だけ帰宅。
娘と二人で夕食を済ませた後、妻から20時くらいに戻れるとの連絡があり再び病院へ出向き、家族で帰宅。
パラセタモールという鎮痛剤の一種を飲んだようで、それが良く効いており、息子の状態も前日よりは安定していた。が、やはり薬が切れてしまうとまた腹痛を訴え始めてしまった。
また、扁桃腺が腫れているとも言われたそうで、
ほんとに?!扁桃腺腫れてるんだったら熱出るんじゃないの??
と思って診察を疑ったりしたのだが、今思えばこれもIgA血管炎の症状の一だったのだと思う。
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IgA血管炎・イギリス闘病記① 発症初期
新型コロナウィルスの変異種が発見され、年末年始には毎日数万人の新規感染者が発生したことで再ロックダウン真っ只中、などと、悪く言えばなんぼでも悪い方向に盛って言えてしまいそうなコロナ環境のイギリス。
そんな環境下で何らか体の不調を抱えた方々が集まってくる医療施設は、できれば近寄りたくない場所ではありますが、そんな場所で約3週間にわたり息子の入院に夫婦交代で付き添いました。
今後、半年ほどに渡って経過観察が必要ではありますが、一応無事退院してほぼ日常を取り戻せた状態になりましたので、今回のイギリスの医療施設NHSでの入院記録をまとめていこうと思います。
・・・渡英してから一年半、まだどこにも家族旅行に行ってないけど、どこへ旅行するよりも強烈な体験であったのでは、、、と今にしてみればそう思える体験でした。
2月3日(水):紫斑の発見
息子がかかったのは「IgA血管炎」という病気。
幸い、死に至るような重篤な病ではなかったが、腎臓病になる可能性もあり、今後も完治するまでのしばらく尿検査などの経過観察が必要となる見込み。
この病名、日本語で検索すると「紫斑病」など他の呼称もヒットするが、最近は「IgA血管炎」という呼称で統一されたそう。
イギリスだとヘノッホ・シェーンライン・パーピュラ(Henoch–Schönlein Purpura)と呼ばれていて、医療従事者との会話の中では、頭文字だけ取って「HSP」という略称が用いられていた。
特徴としてわかりやすいのが紫斑。
膝より下に、見覚えのない紫色の斑点がポツポツと出ているのが確認できたら、この病気の可能性がある。
うちの場合は、妻が最初に息子の足と顔にそれぞれ2、3個の斑点があることに気づき、それが2月3日のことでした。
その時は「IgA血管炎」なんていう病気のことなぞ知るはずもなく、
なんだろね、これ。
なんかのできものでしょ?
そのうち消えるんじゃない?
くらいの会話で、なにも重く考えていませんでした。
2月10日(水):腹痛と嘔吐
発症1日目
それまで特に変わったところは見受けられなかった息子が、20時過ぎころから腹痛を訴え始めた。
日中の遊び疲れで体調を少し崩したのだろうと思い、いつもより少し早めに私と息子だけ先に就寝。
・・・ただ、ずっと腹痛を訴えてうなされていて、21時ころに
「うう、ゲボ出る」
と言うのでトイレに連れて行ったところ嘔吐。
夕方以降に食べたもの全部くらいの量。
その後落ち着いて、寝るには寝たのだが、周期的に腹痛が襲ってくるようで、夜中も何度かうなされるほどの痛みを訴えており、抱っこして歩いたり背中をさすったりして夜が明けた。
2月11日(木):GP受診
発症2日目
寝ても治らないため、医者に診てもらうべく妻がGPへ電話。
コロナ対策で受診の運用も変化しており、従来のGPを訪問しての直接受診ではなく、受付後にドクターから折り返しの電話があり、その電話で診察というスタイルになっていた。
GPは予約が取りにくく、混雑していたら平気で
2週間後に来てください
とか言われてしまう、スピード感の著しい欠如を誇るイギリスの無料医療制度なのだが、、、コロナの影響でリモート化が進んだことで、ある意味この点は改善されたのではないかと感じた。
よくある症状だから、たくさん水を飲んで寝てください
ということで、経口補水液のパウダーが処方されて終了。
うん、、、まあそんなもんだよな、、、
ということで特に疑うこともなく診察も終了。
さすがに処方薬はリモート化不可能なので、直接GP併設の薬局まで取りに行った。。。が、ドクターの処方箋が指定された時間に行っても発行されておらず、1時間くらい待ちぼうけ。
こういうのも海外あるあるか。。。
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ここ一カ月の息子の闘病
久方ぶりに、安心して家族全員で囲む食卓。
2月10日の夜、息子が突然腹痛を訴え嘔吐し、それから数度通院するも全く改善せず、結局4度目の通院後にそのまま入院。
3週間ほど入院生活を余儀なくされ、夫婦交代で付き添いをこなしながら、やっと退院が見えてきた頃に、同室にいた少年がコロナ陽性であることが判明。
妻と息子が濃厚接触者となってしまい、退院後もその日から数えて10日間の自主隔離を強いられる羽目に。。。
そして今日が隔離最終日。
今のところ家族誰にもコロナの症状はなく、明日から娘は学校復帰予定。
息子はIgA血管炎という病気で、幸い大病という類ではなく完治はするものの、色々調べてみると多くのケースで半年ほどの安静期間を必要としている。
息子の体調は脅威的なスピードで回復してきていて、食欲も減量明けのボクサーみたいな勢いになってるのだけれども、多くの例同様に、まだ登校再開させるほどの体調には至っておらず、これでまた今年の春夏も、どこか欧州の美しい場所へ家族旅行するといった楽しみはお預けになってしまった(どのみちコロナで無理かな?)。。。が、家族で安穏と過ごす日常が最上の幸せなのだから、ひとまずは無事にそこに戻ってこられたということだけで十分ありがたいことだと感じている。
コロナ禍の英国で約20日間、息子とともに病院で過ごした日々は、体験としても強烈だったので、追々体験記のような形で綴って行こうと思います。
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注文のできない料理店
先日、ホットドッグ作りからドイツ生活でのエピソードを思い出して書いたのだけど、そういえば時折作るカルボナーラにも思い出があったので書いてみる。
ドイツ生活当時、現地の関連会社に通っていたのだけど、通勤はトラムという路面電車を使っていた。
ホテルから一旦街の中心まで行き、そこで会社方面の線に乗り換える必要があり、片道40分ほど要した。我々(先輩と私)が退社するのは20時~21時の間が多く、
これからホテルに戻って晩飯
と言うには少々遅い時間だったこともあり、帰り道で適当なレストランに寄るのが常だった。
現地の方々は遅くとも18時には完全に姿を消していて、我々の退社時間に社屋に残っている人は皆無だった。
敷地から出る際、守衛所を通るのだけど、ここで頻繁に荷物検査の刑を食らった。
社屋が空っぽの時間帯に、見慣れぬ東洋人2人が敷地内から外に出ようとしてたら爆裂に怪しいわけで、そりゃー捕まえて荷物検査したくなる守衛の気持ちも分かる。ほんの数分の足止めだし、しょうがない話なのだが、トラムの時間に合わせて退社している我々には、100%トラムに乗り遅れるというなんとも迷惑なオマケがついてきた。
夜のトラム運行は20分間隔だったので、数分遅れで乗り遅れると15分はヘンピな吹きさらしの駅で待ち続けることになる。
夜も遅いし、待ってる時間がもったいないので、
こんなとこで待つんだったら近場にあるレストランで晩飯済ませて、
いいタイミングのトラムに乗って帰りましょうや
という暗黙の了解が、私と先輩の間ですぐに生まれた。
会社からちょっと歩くと中華とイタリアンの店が1店舗ずつあった。
どちらも結構美味しかったのだけど、我々はイタリアンのカルボナーラがお気に入りだったので、十中八九そっちに行っていた。
よく来る東洋人の2人組ということで、レストランのスタッフもすぐに我々のことを覚えてくれた。
その中に一人、イタリア人なのか、イタリア人気質のドイツ人なのか、どっちか分からないけど異様にフレンドリーな声のデカいウェイターがいた。
いつしか彼は、我々の来店に気づくと
彼「プレーゴ!ビッテシェーン!」
と声を張り上げるようになった。
ツカツカと歩み寄ってきて先輩か私の肩に手を置き
彼「オオ!ヤパーナー!ハッハーーー!!」
と叫ぶこともしばしば。
先輩「ツヴァイ(二人です)」
彼「ツヴァイ!?トゥーパーソン??OK!?アア!?(二人!?二人かよ??OK!?ああ!?)」
ああ!?の意味は未だにわかりかねているが、引くほどフレンドリーだったのは確か。
ビールと水を頼むと、
彼「ピルス、プレーゴォ、ミネラルヴァッサァ、ビッテシェーン、アア!?(ピルスビール、どうもぉ、ミネラルウォーター、どうもでーす、ああ!?)」
という感じで2,3分後には持ってきてくれる彼。
いつもカルボナーラを注文する我々に対し積もり積もった思いがあったようで、ある日彼は一線を超えた。
先輩「トゥーカルボナーラ、プリーズ(カルボナーラ2つお願いします)」
彼「ハッ・・・ ┐(´д`)┌」
彼は我々に失望したような声を出して回れ右、そしてテーブルから立ち去る素振りを見せた。
2歩くらい進んで回れ右して戻ってきて、
彼「\@%&#$、カルボナーラ!カルボナーラ!!カルボナーラ!!!@%&@^-:!!アア!?」
と、カルボナーラ以外何言ってるかわからなかったが、
訳:オマエらいっつも同じもんばっか!カルボナーラ!カルボナーラ!!カルボナーラ!!!ってたまには他のもの頼めよ!ああ!?
と言っていた、明らかに。
しょうがないので、
先輩&私「ボンゴレ、プリーズ(ボンゴレでお願いします)」
と注文変えたところ
彼「オォオオウ~~・・・、@%&!スパゲッティ!スパゲッティ!!スパゲッティ!!!」
と、それでもご不満の様子。
・・・まあ、これは予想できなくもなかった。
そして彼は先輩の肩に手を置いて、メニューの一つを指差し、
彼「%&@$$?&#?##&?」
言葉の意味は100%理解できなかったが、
訳:これ食えよこれ?うまいから、な?な?
と言っていた、間違いなく。
その日は注文ができなさそうだったので、彼の指示に従い何だかわからないそれを注文。
そして出てきたのはパスタ3種盛り合わせだった。おススメだけあって確かにうまかった。
我々がそのおススメを食している間にも時々様子を見に来て、
彼「&$#&#?ア?ア?アア!?」
これも言葉の意味は100%理解できなかったが、
彼「どうだ?うまいだろ?な?な?ああ!?」
と言っていたことは明白である。
あまりにも強烈な体験だったため、未だにカルボナーラを見ると彼のことを思い出す。
そして私にとって「注文のできない料理店」は後にも先にもあの店だけだろうと思うのだ(おそらく先輩にとっても)。
・・・というかイギリスとかロンドンとか全然関係ない話が近頃多めになって来てしまったが、寒くて外に出たくない上に、ロックダウンで毎日缶詰で、朝から晩まで籠り子守り小森のおばちゃま状態でいっぱいいっぱいな日々の繰り返しなので、昔のことくらいしか思いつかんという事情もあったりします。
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黒カビとの闘い
今住んでいる家、一軒家でスペースも多いせいか、暖房の効きがお世辞にも良いとは言えない。
特に夜は冷え込みが厳しいので、よく居座る部屋の窓に防寒目的で、近所のB&Qというホームセンターで買った発泡材を置いてみた所、これがまあまあ保温効果があって、この冬はいい感じに活躍してくれている。
実際、窓にやってみて暖かくなった実感が得られたので、
寝室の壁にも貼ってみてはどうか?
との奥様のご指示のもと、竹の細い棒と組み合わせて簡単に工作して壁際に置いてみた。
私は壁際に寝ているのだが、壁からの冷気が何となく和らいだ気もするので、これもそれなりに防寒効果はあったと思われる。
そして二カ月ほど経過。。。
何となくそうかなぁ~、、、なんて思っていて、日々見ないふりをしていたのだけど、掃除ついでにこの工作物をどけてみてびっくり玉手箱である。
黒カビがびーーーっしり!
だよね~、やっぱそうなるよね~
物置部屋の黒カビも無視できない感じに培養されてきたということもあり、重い腰を上げて壁の拭き掃除をすることにした。
以前、インスタアカウントのフォロワーの方に、カビの除去に医療用アルコールが使えるということを教えていただいたことがあった。
ほうほう、そうなんだ~
と思い調べてみたところ、エタノール成分が70〜80%のものが最も効果があるそうだ。
前の住人の方が置いていって、全く使い道がないままシンク下のスペースに置きっぱなしになっていた『パストリーゼ77』のことを思い出し、成分表記をチェックしてみると、これがまさにドンピシャ!
ということで寝室にはエタノールを、物置部屋にはDettolの強力スプレーを使って黒カビ退治を決行。
今回はダメもとで娘にも手伝わせてみたのだが、、、普段やらない雑巾がけは面白いようで、なかなかどうして、いい働きをしてくれた。
エタノールはカビの除菌効果はあるけど漂白作用はないそうで、一通り拭いてみたけどやはり黒カビのシミは残ってしまった(左)。
一方、Dettolの強力スプレーは漂白作用まであるので流石の威力である(右)。
・漂白作用は無いが害も無いエタノールは寝室用
・威力は凄いが塩素臭しまくりで密室で噴霧しまくってると気分が悪くなるDettolのスプレーは他の部屋用
のように今後は使い分けるのが良さそう。
温かくなるとこの黒カビ共はきれいさっぱりいなくなる。
学校が始まる3月初くらいにコロナ共々消え去って欲しいわぁ~。
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子供のキャンプ
こっちの学校は日本と同じく3ターム(学期)制で、Autumn、Spring、Summerの3タームで構成されている。
各ターム間には、それぞれ Christmas、Easter、Summer 休暇といった長期のお休みがあるのだが、さらに!!各学期の真ん中にハーフタームと呼ばれる1週間休みまである!!
イギリスの学校はなんて休みが多いんだ!
などと、当初は小峠に叫んで欲しいくらい短絡的にそう思ってしまったが、日本のような祝祭日はほとんどないので、トータルすると極端に休みが多いというわけではない。
とは言え、1週間以上の連休が年6回もあるので、その期間はずーーーっと子供たちが家にいるという状況に陥る。
そしてこれは親としては困る、辛い、しんどい、、、ということにもなる訳だ。
転じて、子供を預かってもらいたい親の需要が発生するわけで、そこにハマっているビジネスとして「キャンプ」なるものがある。
キャンプといっても、日本人がパッと連想する屋外でテント張ってなんやかんやするアレではない。
辞書に載ってるキャンプの意味としては、
野営、合宿、陣営、同輩、仲間、軍隊生活、飯場、作業員宿舎、、、
などがあり、
日本人がパッと連想するキャンプなら「野営」
プロ野球の春季キャンプなら「合宿」
15年くらい前に流行ったビリーズ・ブート・キャンプなら「軍隊生活」
といった意味が当てはまる感じだが、ここでいう「キャンプ」は、、、「仲間」?といったところだろうか?泊まる訳じゃないけど「合宿」の方が近いかな??
朝から夕方くらいまで子供を預かってくれるサービスがあって、それが「キャンプ」と呼ばれている。
キャンプの開催場所は、主に「学校」。
学校と提携している業者も普通にいて、長期休み前になると子供たちがそういったチラシを何種類か貰ってくる。
学校以外にも、地区センター的な場所で開催しているキャンプもあるが、お休み期間中の学校のスペースをそのままキャンプ業者が有効利用しているケースが多い。
キャンプの参加費用は、一日一人あたり£25~£30が相場。
4日分の料金で月~金の5日間通えるといった割引もあったりする。
こんな感じのキャンプ、我が家もこれまで何度かお世話になっている。
できれば通っている学校のキャンプに参加させるのが、子供たちも慣れた場所だし負担が少なく、親としても何かと安心感はあるのだけど、毎回人気があって割と早い段階で満員御礼になってしまい、二人分の申し込みができないことも何度かあった。
キャンプ自体は色んな場所で開催しているので、ちょっと検索すれば近隣でやっているキャンプが簡単に見つかる。
実際に検索してみた所、車15分圏内で5、6カ所見つけることができたので、学校のキャンプが満員だった時は、その中の一つであるSCLという業者のキャンプに参加させてみた。
近隣とはいえ他校で開かれるキャンプに放り込むのは少々気が引けたが、昨年のロックダウン明けの夏休みなんかは、もう、、、子供らと一緒に過ごす時間を極力減らしたいほどヘトヘトだったので、味見で1日行かせてみたところ、親が思うよりも子供らの適応能力は高く、朝から夕方まで全く問題なく満喫して楽しんでくれていたので、そのまま味を占めて3週間くらい続けて通わせたりもした。
ほぼ学校に行っているのと同じ時間、子供たちの面倒を見てもらえるので、親としても大変助かったが、この3週間のキャンプで娘の英語力が急激に向上したという嬉しい副産物もあった。
子供の英語力向上という面では、慣れた場所ではなく、知り合いのいない場所の方が返って良かったのかもしれないな、、、などと、今振り返ってみるとそう思う。
つい先日、ボリジョン会見があって、学校の再開は早くて3月8日とのことだった。
同時に、
あわよくば2月のハーフターム休暇に、
子供達をキャンプに放り込めるんじゃないの!?
という私のゲスな望みも泡と消えてしまった。
あと1ヶ月強、大人のロックダウン・ブート・キャンプはまだまだ続く。。。
おい!もうへこたれたのか!?
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僕とニュルンベルクソーセージ
コロナで学校に行けない小獣二匹がずっと家にいるので、当然ながら彼らの分も昼飯を作る必要がある。
ありがたいことに自宅勤務中の奥様が作ってくれることが多いのだが、時々業務が忙しいときなどは私が作っている。
時々しか作らないくせに、そんな時にでも極力手を抜きたい性分の私がよく作るのはホットドッグ。
で、その際に使うのがこのフランクフルターというソーセージである。
最近知ったのだけど、ドイツのソーセージには地名がそのまんま付けられているものが多くあるそうで、このフランクフルターもその名の通りドイツ・フランクフルト発祥のソーセージらしい。
以前、出張でドイツに滞在していた際に、
ニュルンベルクソーセージ(ニュルンベルガー)
というソーセージが好きでよく食べていたのだけど、確かに言われてみればこれもまんま地名ソーセージである。
このソーセージ、小ぶりなソーセージで、ビールのつまみに非常によく合うという点がお気に入りの理由の一つなのだけど、出会い方が衝撃的だったこともあり、私的には忘れられない思い出のソーセージだったりする。
ドイツと言えば、パッと連想しがちなのがビールとソーセージ。
実際、現地ではいわゆる地ビール的なものを多数見かけたし、ソーセージに関しては、滞在していたホテルの朝食バイキングでも、何種類かのソーセージが常時山盛りで準備されていたりした。
そのソーセージが美味しかったので毎朝のように5、6本は食していたことをよく覚えている。
何本か部屋に持ち帰って、ビールとソーセージで晩酌するなんてこともよくあった。
当時、欧州滞在経験がほとんど無かった私。
見るものすべてが新鮮で、一緒に滞在していた先輩や、同世代の駐在員を誘い、ここぞとばかりに地球の歩き方片手に週末の小旅行をしまくっていた。
そんな旅行先の中に、ニュルンベルクも含まれていた。
地球の歩き方に書かれている観光モデルルートをただただ辿るだけだった私のお目当ては、
有名店で名物ニュルンベルクソーセージとビールを堪能すること
であった。
私が滞在していた町はアウグスブルグと言って、ロマンチック街道の一都市。
そこからニュルンベルクは、ICEという特急列車で1時間半くらいの距離。
日本で言えば、東京から宇都宮へ餃子を食べに行くような距離感覚であろうか、、、さほど遠くもないが、近いとも言い難い、そこそこの移動距離である。
その日は早起きして移動し、軽くニュルンベルクの街を散策した後に、地球の歩き方に載っていた有名店に行ってみたのだが、、、
なんと!日曜日でお休み!!
だったのだ。
今はどうか知らないが、当時のドイツのお店は、そのほとんどが日曜日は閉店していた。
でも飲食店はその限りではなかったので、閉っている訳などないだろうと高をくくっていたら、まさかの定休日だったのだ。。。
わざわざ特急料金まで払ってニュルンベルクくんだりまでICEで移動してきて、
お目当てのニュルンベルクソーセージは
日曜日で食べられませんでした~~~
なんてオチは、後の笑い話にはなるだろうけど、その瞬間はそんな無駄足は是が非でも避けたいわけで、必死のパッチで開いてるレストランやカフェを探しまくった。
万が一に備えて、
このお店でニュルンベルクソーセージ食べられますか?
という確認をしながら。
意外にも置いている店が少なく、
ニュルンベルクソーセージ置いてないってどういうこと!?
ニュルンベルクなのに!?
とぼやきながら4店舗ほど回った後、ようやく目当ての品を置いている店を発見。
無事入店し、席に着き、
いやぁ~、危なかったすね~、
ここまで来てニュルンベルクソーセージ食べずに帰るなんて
あり得ないっすからねぇ~
などと、先輩と安堵の会話を交わしながら注文を済ませ、待つこと数分だっただろうか・・・?
店員さんが持ってきてくれたニュルンベルクソーセージと待望のご対面を果たした我々は、大きな衝撃を受けしばし絶句。
数刻あって、私は重たい口を開いた。
これ、、、毎朝ホテルで食べてるソーセージですね・・・
と。
かなーーーり苦労してやっとこたどり着いた待望のニュルンベルクソーセージは、なんと、毎朝5、6本バクバク食していたソーセージだったのだ・・・。
あれ以上の「ふりだしに戻った感」は、アラフィフとなった今も経験したことがない。今後もあれを越える経験は無いのではなかろうか?とすら思う。
まあ、美味しかったんですけどね、ひじょーに美味しかったんですけどね・・・。
そんな衝撃のニュルンベルクソーセージ、
イギリスでも売ってたら買いたいな~
と思ってスーパーに行った際などに探しているのだけど、ドイツ外ではあまり流通していないようで、今のところドイツ系スーパーのLidlでも見かけたことが無い。
美味だったことは覚えているが、どんな味だったかまではもうおぼろげな記憶しかないので、またどこかで出会えたら躊躇なく10本ほどオーダーしたい。
思い出のニュルンベルクソーセージ
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