〇〇〇〇ロス
いやぁ~、ロスですよ。
この時期漏れなく〇〇〇〇ロスな私です、はい。
〇の中に何が入るかって?
そんな野暮なこと聞いてほしくないですけどね、昔話をしながらちょっとずつ明かしていこうと思いますよ。
昔話その1
もう15年位前ですかね~、ポッキーのCMで踊ってた女の子があまりにも可愛くてですね、職場の同僚と飲みに行った帰りに
「俺の新技見てくれ!」
と叫んで、ポッキーダンスを酔っ払って真似していたら、あろうことかほろ酔いのヤンキー兄ちゃんにぶつかって、、、というか、一緒に居た後輩曰く
「ヤンキーじゃなくても怒りますよあれは!」
くらいの勢いで激突して、すぐ素に戻って謝ったんですけど案の定絡まれて、Yes&Sorryマンに5分くらい徹した後、一人じゃなかったってことも(多分)幸いして、無事解放されたって言うイタイ過去がありまして、それ以来ポッキーダンスは封印しています。
いやぁ~、あれは危なかった。
「あ」ぶなかった。。。の「ア」を一文字目に入れまして、
ア〇〇〇ロス。
昔話その2
これは昔っていうほど昔ではなく、もう最近なんですけどね、仕事帰りに保育園のお迎え行ってたんですけど、その際ちょろっと寄ったイトーヨーカドーの化粧品売り場にKOSEのパンフレットが置いてあったんですよ。
そのパンフレットにポッキーの女の子、、、っていうかもう素晴らしい女性に成長なさっていた彼女が載ってたんですよね。
化粧品なんか触ったこともないし、今後も死ぬまで触ることすらないであろうしなびたオッサンの私なんですが、その女性があまりにも美しいんでね、そのパンフレット欲しくなっちゃってついつい一部貰って帰ったわけですよ。
で、家帰って眺めてみたらやっぱとても萌えるわけで、
「こりゃーあと2,3部貰っといた方がいいな」
と思って翌日もいそいそとイトーヨーカドーに行ったわけですが、結構な数あったパンフレットが一日で全部なくなっちゃってて、、、私的には無駄足踏んでしまったわけですが、さすがの人気っぷりに驚愕したわけです。
きょう「が」く。。。の「ガ」が出ましたので、「ガ」を三文字目に入れまして、
ア〇ガ〇ロス
さぁ、だいたい何ロスが予想付いてきたんじゃないでしょうか?
昔話その3
これも昔っていうほど昔ではなく、ほんの数年前の話なんですけどね、彼女の新しいダンスが出たんですよね。
ポッキーダンスから実に10年以上!その名も「恋ダンス」!
これもね~、もういい年のオッサンなんで普通の人なら勇気のいる告白なのかもしれませんけどね、私全然そういう逃げとか恥じとかプライドとか無いんで、マジでホントに全然無いんで、フツーに公表できちゃうんですけどね、家でこのダンスめちゃめちゃ練習したんですよ。
ポッキーダンスみたいに外で披露して、またほろ酔いヤンキーに激突とかしちゃったらトンでもないんでね、門外不出の自宅オンリーで。
ていうか振り付け難しくてほとんどできなかったんですけどね。
・・・いやね、でもね、、、やっぱそろそろ頃合いかな~とも思ってたんですよね。
もうお生まれになってから結構経ってましたしね、、、チャンスがあれば掴みに行った方がいい時期なんじゃないかなと、そういう決断の時期はそろそろあって然るべきなのではないか!?なんて親戚のおじさん風なノリで勝手に思ってたりしたわけですが、、、はい、その日が突如訪れたわけですよ、私にしてみれば「青天の霹靂」でしたよ。
そういえば別件ですけどね、SNSで繋がってる同級生女子の方から
「ガッキー結婚したよ!」
って連絡があったんですよね、その日。
いやぁ~、、、これはこれで衝撃でしたよ、衝撃。
逃げ恥婚に驚いた方も多いんじゃないでしょうか?
でもね、私的には「霹靂」ほどじゃないですよ。
ガッキーファンの私からすれば「衝撃」でしたけどね、「霹靂」ほどじゃないです。
「霹靂」って雷ですからね、当たったら死んじゃいますから。
・・・ていうかね、昔話ついでに触れときますとその連絡くれた同級生女子もね、これも10年くらい前の話ですけどいきなり
「本日○○君(同級生男子)と入籍しました!」
なんて入籍発表をSNS上で夫婦同時にかましたりして、私の脳内裁判で有罪になった前科者夫婦でしてね、、、いやぁ~あれもいきなりでしたからね、その連絡も衝撃でしたけどね、まあ霹靂には一歩及ばないっていうか、準霹靂的な?今回の霹靂砲には一歩及ばない的な?残念!
ちなみにこのご夫妻の罪名は
「芸能人気取りの同時入籍発表で同級生界隈をザワつかせた罪」
で、初犯ということもあり執行猶予800年くらいついてます。
でもまあ友人の電撃婚だったんで今回のガッキー砲よりはびっくりしましたけどね、、、で、まあ、もうこれ以上引っ張ると字数多すぎてはじかれそうなんで〇全部埋めると、
アオガラロス
ですよ、私。
「アラガキロス」じゃないですよ?
ガッキーファンの私は「アラガキロス」なんて変な言い回ししませんよ。
別にだらだら書いた昔話が〇の穴埋めのヒントになってるなんて一言も言ってませんから私。
アオガラロス
です!!!私。
3月から2カ月以上に渡って営巣模様を観察していたのに、ある朝起きたら
巣箱空っぽ!!!!
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
ですからね。
昨日までこれだったのに、、、
一気にこれもんですわ!
夜逃げかよ!
霹靂過ぎて脚立から落ちそうになってあやうく死んじゃうところでしたよ。
もうマジロス。マジで超ロスですよ。
アオガラロス。超アオガラロス。
巣立ちの瞬間を見届けるために2ヵ月間、雨の日も風の日も頑張ってきたってのに、、、来年の今頃はきっと本帰国準備で撮影どころじゃないから今回がアオガラ営巣密着ラストチャンスだったってのに、、、7匹もいたのに全部同じ日の早朝に巣立っちゃうなんてあり得なくない!?
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IgA血管炎・イギリス闘病記⑫ そしてコロナ濃厚接触者に・・・
3月 5日(金):
発症24日目入院17日目
隔離1日目
昨日、付き添いを交代した妻が言っていたのだが、小児病棟の看護師長さん的な人に
なんで付き添い交代しているの!
とお咎めをうけたらしい。
・・・いやいや、
ちゃんとドクターに確認して許可得てから交代してんねんけど・・・。
逆になんでアンタがそれ知らんねん・・・?
そこを問いたい。問い詰めたい。
となる訳だが、妻としてもそんなもんだと分かっているので無駄に反論もしない。
私とは土曜日に交代する予定だったのだけど、日曜日まで居るように言われてしまったそうだ。
そして今朝、妻から
大変なことになった・・・
と連絡があり、なにかと思ったら、なんと、
同室の男の子がコロナ陽性だった・・・!!
のである。
濃厚接触者となってしまって2週間の自主隔離を言い渡されてしまったそうだ。
その男の子は深夜に運ばれてきて、明け方まで4、5時間同室にいたらしい。
ていうかさ、コロナの症状出てる患者なんだったら、検査結果出るまで大部屋に連れてきたらアカンのとちゃうんか??
どういう運用ルールなのか知らないけど、なんだかすごいザルっぷりである・・・。
ドクター回診の際、
状態は大分良くなってきているので、明日問題なければ退院しましょう
との診断がおりた。
妻と息子がいるのは患者の出入りが激しい大部屋なわけで、またいつ何時新たなコロナ患者が運び込まれてくるかわからない。
個室ならまだしも、大部屋に留まることに対する不安も大きかったので、早々に退院できるのであれば願ってもない事である。
日曜まで交代してはダメよ!
と言われていたが、すぐにでも退院させてもらいたい気分であった。
3月 6日(土):
発症25日目入院18日目
隔離2日目
昨日、妻と息子はコロナ濃厚接触者ということで、看護師に2週間の自主隔離が必要と言われたのだが、NHSのサイトに載っているルールを見ると
自主隔離期間は10日
との記載があり、看護師の指示とは食い違っていた。
妻が看護師にそのページを見せて再確認したところ、
あら本当ね、じゃあ10日でOKよ
と、あっさり昨日の指示が覆った。
こういうのもあるあるだ。
医療従事者なんだから正しい情報をちゃんと把握していて当たり前
と思って鵜呑みにしていたら4日余分に自主隔離する羽目になっていた。
現場で毎日働くスタッフ全員が、常に最新情報を把握しているわけがない
というのが紛れもない現実であり、こういった疑いの目を持っていないと自分が損するだけなのだ。なんとも疲れる話である。。。
息子の調子は大分良くなっていて、朝時点でこれと言った不調も無かったので、あとはドクターの回診を待って退院の判断を待つばかり・・・であったのだが、そんな日に限って回診のドクターが待てど暮らせどやってこない。
いつもは午前中に回診があるのだが、急患で立て込んでいたのだろうか?結局ドクターがやってきたのは夕方であった。
特に問題なし、退院可能
との診断だったのだが、病院側の退院手続き時間が必要だそうで、この日の退院は無理ということに・・・。
うーーむ、なんともツイていない。
3月 7日(日):
発症26日目入院19日目
隔離3日目 退院
この日もドクターの回診が遅く、14時過ぎまでひたすら待機の妻と息子。
ドクターが来て無事退院の許可が下り、手続きなどでさらに少し待機があり、17時過ぎに無事退院!
体力回復補助ということで、お土産にFortini24本入りの箱も頂いて。
長かった・・・、すごい長かったよ・・・、イギリス入院生活・・・。
やったーーー!!
と喜びたいところではあるが、イタチの最後っ屁のように妻と息子がコロナ濃厚接触者になってしまい、素直に喜びきれない感じでの退院であった。
本来であれば明日から娘は学校だったのだけど、濃厚接触者の家族も自主隔離なので登校不可の旨学校に連絡を入れた。
まあしょうがない。
病院の駐車場で、車に乗った息子が急に泣き出し、
どうしたの!?
と聞くと、
帰りたくないよ~、寂しいよ~、病院がいいよ~
と言うではないか。。。
彼にとってはYouTubeを見たりオモチャで遊んだりと、それなりに病院生活が気に入っていたようで、まだまだ入院していたかったみたい。
息子の言動になんだか呆れて気が抜けてしまった。
日本との違いに悩まされることも多かったけど、無事退院できるレベルまで息子を回復させてくれたNHSに感謝して家路に。
さて、これからあと7日間家族で自主隔離である。
食材はしこたま買い込んでおいたので兵糧の心配は無し。
あとは感染していないことを祈るしかない。
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IgA血管炎・イギリス闘病記⑪ プレイチーム
3月 3日(水):
発症22日目入院15日目
朝、急に大部屋に移れと言われ慌ただしく移動。
血液検査、検尿の数値が良く、もう回復が十分とみなされ徐々に日常に近づけていくらしく、その一環での引越しらしい。
先に大部屋にいたのは2組。
1組目は生まれたばかりの赤ちゃんとそのお母さん。
一時的にいただけの様ですぐいなくなった。
2組目は1歳くらいの男の子とそのお母さん。
イスラム教徒のようで、決まった時間になると礼拝を始める。
6床分の大部屋で1床分のスペースはまあまあ広くとられていたので、個室と比べてもスペース的に手狭になった感じはしなかった。
食事は徐々に取れるようになっているのだが、看護師からFortiniを飲め飲めと言われる。
体重が24kgあったのが19.5kgくらいまで落ちておりその回復のためにプロテインが必要で、Fortiniにはそれがふんだんに入っているらしい。。。が、あまり美味しくないのでなかなか進まない。
イチゴ味のFortiniに変更してもらったところ、これはまあまあ気に入ったようでこの日は125mlのボトルを3本飲むことができ、ノルマを達成。
食事の記録を見せると、「何を食べたか?」よりも「何カロリー食べたか?」の方に重きを置いているようだった。
夕方になり、今度は背中が痛いと言い出した。
寝る姿勢を変えたり、トイレに行くために抱きかかえたりするとひどく痛がる。
幸い、回診に来ていたドクターが病棟に残っていたので、捕まえて診てもらった。
IgA血管炎の症状では無さそうだが、やや背中が腫れているようにも見えるので、少し様子を見て明日検査してみようと言われた。
やっと回復してきたというのに、新たな症状にまた不安が募る。
妻が近所のSOEUL PLAZA でぽたぽた焼きを買ってきてくれた。
これが大好きな息子は完全に入れ食い状態であった。
食欲に関してはもう心配無さそうである。
便の調子も良くなり、この日で紙おむつ生活も終了。
3月 4日(木):
発症23日目入院16日目
朝からまたFortiniをのめのめと言われる。
そんなにこの飲料がすごいのか?
と思うほど、のめのめと言われる。
シリンジに一回5ml~10ml入れて、何か食べるタイミングに合わせて飲ませているのだけど、やはり息子的には不味いそうで、なかなか進まない。
小児科病棟にはプレイチームという方たちがいる。
彼らは入院中の子供たちを見回って、退屈しないようにおもちゃやゲーム、DVDの貸し出しなどをしてくれる。
息子も薬で安定している時間帯は暇を持て余していたため、彼らの存在はかなり有難かった。
病院によってプレイチームの持っている予算も差があるようで、St. George Hospitalに比べ、Kingston Hospitalはかなり充実していた。
St. George Hospitalはジェンガが最高クラスの貸し出し玩具であったが、Kingston HospitalにはNintendo Switchの貸し出しがあり、また、驚いたことにレゴブロックやポケモンのおもちゃなんかもプレゼントしてくれた。
入院期間が長かったこともあり結構な数のおもちゃをいただいてしまった。
これがすべてタダと言うのがスゴイ。。。
そして、この日はWorld book dayというイベント日であったこともあり、プレイチームの方々は本の登場人物に仮装して小児病棟を回っていた。
残念ながら英国の童話に精通しているわけではないので、誰が何の格好をしているのか私はさっぱりわからなかったが、一番目立っていたのは赤髪の女性に扮した若い男性スタッフであった。
息子の採血はいつもは午前中にベッドの上で実施するのだけど、また連係ミスがあったようで、昼食直後に急に
採血するから処置室に来てください
と看護師に言われて移動。
注射の時に子供の気を紛らわせるために、時々プレイチームの人たちが来てくれることがあるのだけど、この日も処置室に来てくれた。
来てくれたのは一番目立っていた女装男性スタッフ。
ハーーイ!ハワユーーー!?
って感じで明るく接してきて、手に持ったタブレットを息子に渡して一緒にゲームをして、その隙に針を刺して採血、、、という算段だったのだろうけど、昼食直後の息子は移動で気持ち悪くなったみたいで思い切り嘔吐。。。
処置室が一気にしーーーんと静まり返り、汚物処理でスタッフの方々は一旦どこかに行ってしまい、私たちと赤髪女装男子だけが処置室に残され、シュールな絵面の沈黙時間が数分あった。
移動で気持ち悪くなって嘔吐はしたものの、ベースの体調は順調に回復して来ている。
昨日一昨日と排便が無いのが心配だったが、採血の後に通常便を大量にかました。
腸の動きもだいぶ回復したようだ。
ここで妻と交代。
交代後、息子の背中の痛みの原因を調べるべくMRI検査を受けたのだが、そこでの息子の暴れっぷりがすごかったらしく、妻は交代直後で激しく消耗したそうだ・・・。
で、背中の痛みの原因は、おそらく床ずれ。
確かに同じ姿勢で長時間YouTube見たりしてたからな・・・。
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いや、鳥じじいです
去年の今頃、Blue tit(アオガラ)とCoal tit(ヒガラ)とRobin(ヨーロッパコマドリ)が家に営巣しているのを発見し、それがきっかけで小鳥の生態に興味を持つようになった。
慌てて試行錯誤しながら、小鳥たちの営巣模様を追いかけた去年とは違い、今年は寒い時期から巣箱改造、USBカメラの試し撮り、営巣しそうな場所への巣箱設置、などなど、奥様に呆れられるほどの手間を割いて臨んだ甲斐あってか、入居数がハンパない。
発見した順番で記録すると、
1号室.Blue tit
2号室.Robin
3号室.Great tit(シジュウカラ)
4号室.Great tit → 営巣放棄後Blue titが入居
5号室.Blue tit
6号室.Dunnock(ヨーロッパカヤクグリ) → 発見が遅く、既に巣立ち済み
4月26日現在でなんと4種6家族様である。
まだ空の巣箱が4つあるのでもしかしたらもう少し増えるかもしれない。
1~4号室は巣箱。
アオガラ、シジュウカラ、ロビンは樹洞巣タイプと呼ばれるそうで、巣箱のような隔離空間に好んで営巣する。
事前に営巣場所が分かっていることが多いので、カメラを仕込めるよう改造しておくなどの準備もでき、比較的容易に営巣模様が撮影できる。
5号室は、家の壁の中にある空洞。
去年、ここにはCoal tit が営巣していたのだが、ヒナが巣立つときに空洞から直接外にでるのではなく、一旦空洞から家の中を経由して巣立っていった。
巣立ち直後のむちゃくちゃ可愛いヒナを間近で見られるという、ひじょーーーにレアな体験に恵まれたのだが、今年も是非そうならないかなぁ~と期待しているところである。
6号室は、低い木の枝の中にある巣を偶然発見したもの。
ここの住人であったヨーロッパカヤクグリは、開放巣タイプと呼ばれるらしく巣箱には入ってくれない種類。
かなり木の枝が込み入った場所にひっそりと小さな巣を作っていたので、木の枝にiphoneを適当に固定して撮影。
発見した時点でもうかなりヒナが育っていて、観察3日目であっという間に巣立ってしまった。
開放巣タイプはどこに営巣するか分からないため、短期間ではあったが間近で撮影できたのは非常にラッキーだった。
ここに次の入居者が来ないかな~、などと思いながらちょくちょく巣の様子をチェックしているが、今のところ誰も来ていない模様。
また、今年は是非ともBlack Bird(クロウタドリ)に入居してほしくて色々と工夫をしてみたのだが、うちの庭にはそもそも彼ら好みの営巣スポットは無いようで、残念ながら来てもらえなさそう。夕方になるとよく餌を探しに庭には来るのだが、、、。
現在進行形で営巣中なのは5家族で、とてもじゃないが全ては撮影しきれない。
とは言え最低でも各種類1家族ずつは撮影したいし、記録としてそれぞれ1本のダイジェスト動画にまとめたいと思っている。
ダイジェスト動画の素材集めのために、毎日のように庭でちょこまかとPCで録画を続けているわけだが、小鳥に夢中になっている間は駐夫としての責務である家事もおろそかになりがちであり、時折奥様が庭にいる私に向け
「こら!鳥おやじ!」
との叱責が飛ぶ。そんな時は、
「いや、鳥じじいです」
と、謎のマウント返答でメンタルの安定を保ちながら今日も撮影に勤しむのである。
とりあえず、ヨーロッパカヤクグリのダイジェスト動画を作りました。
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IgA血管炎・イギリス闘病記⑩ 徐々に快方へ
2月27日(土):
発症18日目入院11日目
朝から調子よく食事を始めた。
昨日までと比べ、目に見えて回復していることがわかる。
お粥や味噌汁など、水分多めの食事なら喜んで食べるようになった。
・・・が、少しハイペースだったようで午前10時に嘔吐。
栄養士の方が来て、Fortiniという飲料、ジョア的な感じ?のものを飲ませるようにと言って置いていった。
一昨日、食パンを食べて吐いてしまった後にドクターが来て、
パンはダメだからミルクを飲ませよう
元気になるにはタンパク質を摂らなくてはいけない
子供用のミルクは今在庫が無く手配したので明日から始めよう
と言っていたのだが、ミルクの手配を二日連続ミスって昨日も今日も届かなかったようで、その代わりっぽい感じでこれを飲むことになったのだが・・・、栄養のあるものを飲むのは良いとして、ミルク一つまともに手配できないスタッフの連携能力というか事務能力のレベルを目の当たりにすると、
やはりここではまだまだ気は抜けないな・・・
という思いが一層強くなる。
Fortiniは1本200MLで、回復のための今日のノルマは2本とのことであったが、息子的には不味かったようで1本目の半分くらいしか飲めなかった。
私も味見をしてみたのだが、、、例えるなら
かなり濃厚なフルーツジュース
であり、プロテイン特有のドロッとした感も漏れなく付いてきていたので、これはまだ回復し始めたばかりの息子の胃には重い飲み物だなと思った。
再び来た栄養士に味が合わない旨伝えた所、いくつか別のものを持ってきてくれた。
息子的にはピーチ味なら飲めるかもしれない、とのことだったのでそれに切り替えて明日からまたトライすることに。
ちなみにこれも私が味見をしてみたが、先のものと比べると酸味が少なかったが、重さ的には大差なし。
・・・飲めるんだろうか?
他の食事やおかゆなどは美味しいと言って、チビチビと食べるようになった。
ただ、まだパラセタモールの効果が切れると腹痛を訴え、昨日同様、症状は夜にひどかった。
2月28日(日):
発症19日目入院12日目
この日も朝から調子よく食事を開始。
水、パン、お粥と、昨日に引き続きFortiniも。
回診の際、食事の記録をドクターに見せ、食欲が戻ってきているということで一週間ぶりに鼻チューブを外してもらえた!!
パラセタモールは経口に切り替えるということで点滴のカヌラも外れ、ようやく配線なし状態に。
良かったね~!良かったね~~!!
と話しかけて喜ぶも、既に鼻チューブやカヌラに慣れてしまっていた息子的にはあまり劇的な変化は感じなかったようで、息子のリアクションは素っ気なかった・・・。
でもまあ、トイレ補助もし易くなり、見た目の痛々しもだいぶ減ったしで、親としてはかなりの喜びであった。
順調に食事をしていたのだが、16時以降、腹の不調を訴え、それ以降は飲食しなくなった。腹痛はパラセタモールで収まって就寝。
3月 1日(月):
発症20日目入院13日目
明け方から腹痛の訴え。
経口のパラセタモールは心なしか効果時間が短い気がする。
便は相変わらず半液状だが、今までに比べ結構な量が出るようになり、胃腸の動きも回復している模様。
Fortiniは濃厚なので、1回5mlずつ、1時間に2,3回のペースで与えたが、朝10時の体重測定で少し動いた後に嘔吐。
食べたものすべて吐いてしまった。。。
ピーチ味のFortiniもどうやら口に合わないようなので、違うものにしてもらった方が良さそう。
嘔吐の後、スッキリしたようで
「立つ!」
と急に叫んで立ち上がり、
「治すぞ!!」
と両手を上げてポーズをとる息子。
安静必須なので、
「ダメダメ!」
と慌てて座らせたが、ちょっといつもの素が出てきた感じ。
嘔吐後も病院食のマカロニチーズを食べたがったりと、食欲は変わらず。
ペースに気をつけながら食事を与え続けたが、夕方から腹の不調を訴え、その後何も食さず。
22時頃に少し回復して少し食べたが、歯を磨いた際にまたも全て嘔吐。
2週間以上ほぼ何も食べずに来ていたので、固形物を食べるときのペース調整はなかなか難しく、一進一退の感は否めない。。。が、徐々に快方に向かっているのも事実。気長に構えるしかない、と改めて思う。
付添いの看病はキツイ。本当にキツイ。
コロナの影響で付き添いの交代も禁止されているので、気分転換に少し出歩くことすらできないし、定期的に苦しみだす息子と二人で狭い部屋にいつづけるのはメンタル的にもなかなかにしんどい。
「なんとかして~・・・」
「パパ助けて~・・・」
と叫びながら、腹痛に苦悶の表情を浮かべて耐える息子を見ているのは本当に辛い。
息子が寝ている隙に、5日ぶりの入浴。
快方に向かってはいるが、息子のそばをある程度の時間離れるのはまだまだ難しい。
3月 2日(火):
発症21日目入院14日目
朝、気持ち悪い、おなか痛いと言っていたが、程度は低いようでYouTubeを見せるとそれに集中して過ごしてくれる。
プレイチームという子供を楽しませてくれる方々がいて、いただいたレゴで遊んだりするようにもなった。
私も疲れが体に現れてきたようで、食事をすると胸焼けするようになってきた。
気が張っていてあまり疲れを感じないのだが、体は正直だ。
看護師の方がベッドシーツ交換をしに来てくれ、その間息子をシャワーに連れて行くように言われた。
まだ立ち上がれるほど体力は戻っていないので、シャワー室のバスタブに座らせて3週間ぶりの入浴。
食欲は回復しつつあるので安心感はあるものの、バスタブに座る痩せこけた息子を見ると、
可哀想に、、、こんなに痩せてしまって・・・
と思わずにはいられない程の変わり様であった。
午前のドクター回診の際、リモート参加していた妻が
交代禁止なのは承知しているが、長期入院に付き添っている父親の体調も心配。
明後日の木曜日に交代をさせてもらえないか?
と、相談してくれ、午後の回診の際にドクターからOKの回答がもらえた。
St. George Hospital にいたときに聞いた看護師の話によると、付き添いは原則交代禁止ではあるが、妥当な理由があれば例外として認められるとのことであった。
多分、NHS共通でこのルールで動いているのだろう。
夕方、妻が私の夜食に持ってきてくれたお茶漬けの香りに息子が反応。
なにこのいい匂い!?
と、食欲を刺激されたらしく、息子がお茶漬けを食べたいと言い出した。
これ幸いと与えてみると、美味しかったようでペロッと平らげた。
この日は良く食べ、嘔吐も無かった。
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IgA血管炎・イギリス闘病記⑨ イギリスの病院食
入院から1週間は非常に過酷な日々でしたが、ここからは経過観察しながら徐々に回復していく日々が続きました。
2月24日(水):
発症15日目入院8日目
この日は妻が終日付き添い。
LINEや電話で息子の様子を教えてもらっていたが、吐き気や腹痛は定期的に襲ってくるようで、あまり昨日とは変化なし。
点滴のカヌラが刺さっている方の腕が浮腫んできたようで、逆の腕に刺し直しをしたそうだ。
午後、予定通りにKingston Hospitalへ移動。
家からは車で5分、歩きでも20分ほどの近場なので、これで何かと便利になることも多い。
Kingston Hospital到着後、すぐ病室に案内されるわけでもなく、控室のようなところで長らく待たされたそう。
明日、妻と付き添い交代することに。
2月25日(木):
発症16日目入院9日目
交代前にASDAで日々の食材を購入。
たんまり買い込んでその足でKingston Hospitalへ移動し、妻と交代。
しばし娑婆の空気とはお別れ
というのはこんな気分か。。。
二日ぶりに息子と再会。
パラセタモールの投与間隔は最低6時間必要で、1日最大4回投与可能。
この鎮痛剤が効いている時間帯は調子が良く、YouTubeを見るか寝るかしてる時間がほとんど。
大体4時間くらいで薬の効果は消えるようで、次の投与まであと1時間とか残っているところで腹痛や吐き気が襲ってきてうなされ出す、、、というのが繰り返される。
現代で薬があるからいいが、、、昔はどうしていたのだろうか?
ただただ苦痛が過ぎ去るのを耐えるしかなかったのだろうか・・・?
こんな長期間なにも口にできなかったら、それだけで衰弱して亡くなって
しまっていたのではなかろうか?
息子の体調が安定している時間が増えたことで、こんな無意味なことを考える余裕も出てきた。
少し食事をしようということになり、食パンを1/4ほど食べたが結局嘔吐。
水も一日1500ccを目標に飲むように言われた・・・が、そんなに飲めるはずもなく。
経過観察のために、
何をどのくらい食べたか?
何をどのくらい飲んだか?
おしっこ、うんちは何回したか?
を記録するように言われノートに書き留めるようにした。
定期的に看護師が進捗を尋ねに来る。
この日、これまでとの違いとして大きかったのは、食パンを1/4ほど食すという食欲を見せたところ。
発症後からほとんど固形物は食べていなかったので、まともに食べたのは16日ぶりである。
結局吐いてはしまったが、徐々に食事をとれるようになりそうだ。
2月26日(金):
発症17日目入院10日目
この日私が昼食で貰ってきたマカロニチーズを見て息子が食べたいと言い出した。
食欲が回復したのであればこんなに嬉しいことは無い!
・・・のだが、
こんなヘビーなものいきなり食って大丈夫か??
とも思ったので、よく噛んで食べるように言い聞かせマカロニを1本ずつ息子の口に運んだ。
2週間以上食事をしていなかった息子の体重は24kgから19kgまで減ってしまっていた。
食欲が回復しつつあることを妻に伝えたところ、
欧米のこってり病院食はまだまだ息子の胃には重いだろう
ということでお粥を作って持ってきてくれた。
だしの味が効いた香りの良いお粥で、10分に小さじ1杯くらいの超スローペースではあるが息子も好んで食べた。
・・・が、マカロニチーズなどのこってりパスタの方も食べたいとせがむ息子。
味覚は欧米寄りなのだろうか??
食事の話が出たついでにNHSの病院食について触れておこうと思う。
NHSの病院食は、入院中の小児患者だけでなく、その付き添いの保護者にも支給される。
入院費無料なのに食事までついてくるのだ。
念のため言っておくと、ここだけ切り取って
イギリス医療素晴らしい!
などと思ってはいけません。
Kingston Hospitalの食事はまあまあ美味しくて私もさほど抵抗なく食べることが出来た。
朝はパンと飲み物といった軽食で、8時以降に看護師の方がパンや種類や飲み物の種類を聞きに来てくれる・・・が、忘れられて聞きに来てくれないこともしばしば。
昼と夜はナースセンター付近で給食のおばちゃんみたいな感じの方が食事を配ってくれる。
メニューはパスタや揚げ物、デザートなどガッツリのお食事が基本。
一方で、転院先であったSt. George Hospitalは結構しんどい味が多かった。
朝食はKingstonと同じくパンと飲み物といった軽食。
昼と夜は食事係のスタッフの方がメニューを持ってきてくれるのでそこから選ぶ形式。
これはまあ、私の知識の問題もあるのだろうけど、メニューに書いてある大半の料理が正体不明。。。
ローストビーフなど、正体が分かるものをなんとか探し出しての注文したのだが、3回連続で口に合わない冷凍食品が届いたので早々に降参。
それ以降は無難なサンドイッチだけ頼むようにした、、、が、これもパンがぱっさぱさで辛かった。
これまで息子は食事が出来なかったので、私の分しか貰わなかったのだが、この日以降は息子の分も貰うようにした。
St. George Hospitalの食事は不味かったので、息子の食欲が回復したのがKingston Hospitalで良かったなと思った・・・。
この日もパラセタモールが切れると腹痛を訴えた。
特に夜に耐えられないほど痛むようで、背中をさすったり抱っこして歩いたり足をもんだりして苦しい時間を乗り切る。
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