人生の夏休み 〜ロンドン駐夫の記録〜

「どうも、キャリアウーマンです」なワイフにライフを激しくコントロールされまくる、日々をまったり過ごしたいアラフォー終わりたての中年男子です。 職場の理解も快く得られ、晴れて休職。子供(姉・弟)と共に、妻の転勤、駐在に帯同する形で地球の裏側まで引っぱられ、ただ今初めての駐夫・専業主夫を経験中。 ほぼ同内容のInstagram【ID : @pondotaro】をこちらで清書。渡英前の事なども順不同でつぶやきます。

黄昏の弁明

教会の掃除を手伝った時に、何人かのお爺さん達と会話したのだけど、その中に一人、日本についてそこそこ見識のある方(以下、D爺)がいた。別の日に教会でその方に会った際、

「家族でウチに遊びにこないか?」

と、有難い申し出をいただき、お言葉に甘えてお邪魔してきた。

ニューモルデンは韓国人街なので、やはり韓国人が多いのだけど、中国、台湾、インド、スリランカといった他のアジア系や、アラブ系、アフリカ系も珍しくない。本当に国際色豊かでるつぼ状態だ。招待してくれたD爺は、そういった方々とも交流が多くあるようで、教会に来ている(彼にとって)異国民に当たる方々ともよく言葉を交わしていた。

そしてここの奥さん(D妻)がまたえらくフレンドリーで凄かった。
D爺の家は庭が広く、D妻はそこかしこにベリーやハーブ、野菜など栽培しまくっている。家に招き入れてもらったその足でそのまま庭へ案内され、そこからいきなり30分くらいブラックベリーの収穫作業。

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ブラックベリーは8月が収穫期で、ちょうどこの時期は庭にブラックベリーが実り過ぎるため、友人にも収穫してもらって、そのまま持って帰ってもらってるのだが、それでも食べきれないため、ジャムを作っているんだ、と。
そう説明しながら案内してくれたキッチンには瓶詰めのジャムが2、30本と、どでかい鍋でまさに作成中のジャムがあった。ブラックベリーと砂糖を1対1で煮込むそうだ。全部食えないからこれも配るみたいだったけど、それでもそんなにジャム食ってたら糖尿になるんじゃないか・・・、といらん心配してしまうほどの量であった。

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 庭には、D爺が孫のために自作したブランコや滑り台があり、そこで子供達を遊ばせながら彼の昔の話などを聞かせてもらった。D爺はいっぱい喋ってたんだけど、相変わらず私は何言ってるのかほっとんどわからんかった。でも、一際興味深かった話が一つあった。その要点としては、

  • D爺は若い頃、オーストラリアに留学していた
  • そこには日本人の友人も何人かいた
  • その後、仲の良かった友人(以下、S氏)が壮年期に逝去したという訃報を、留学時代の友人づてに耳にした
  • D爺は、S氏のご家族とは今も交流がある
  • 9月末に日本に行く予定があり、そこでご家族と再会する予定

D爺は明には言わなかったが、どうやらS氏は入水によりこの世を去ってしまわれたようで、それを知ったときD爺も大変心を痛めたそうだ。

さらに、D爺が言うには、S氏には著書があるとのこと。
手元にあるのかと尋ねたところ、訃報を知らせてくれた友人にお願いし、譲り受けたものが一冊あるそうで見せてもらった。

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確かに日本語の本であり、D爺のこともこの本の一端にではあるが、記載があるそうだ。
D爺には日本人の友人も何人かいて、過去、この本の内容を教えて貰えないかと頼んだことがあったらしく、簡単な要約を持っていた。ただ、要約と言っても便箋一枚程度。約300ページ、短編エッセイが100以上詰まったこの本の中身については殆ど触れられていなかった。
色々と偶然が重なった結果、異国で出会ったこの本に何とも妙な縁を感じ、少なからず興味もそそられたので、D爺にお願いしてしばらく拝借させてもらうことにした。全ては難しいが、D爺について触れられている篇と、S氏とD爺が同じ時間を過ごしたオーストラリアに関係する篇を幾つか見繕って英訳に努めてみることも約束して。

D爺もこう言った展開を少し期待していたのではないか?とも思った。

帰宅後、D爺について書かれている篇を読んでみた。
なるほど、これまでD爺の日本人の友人が大雑把な要約しかしなかった理由が少しわかった気がした。

S氏の学歴は慶應大学文学部修士課程修了。その後オーストラリアの大学で日本語の講師として教鞭を取り、D爺とはそこで出会う。帰国後もいくつかの大学で仏語の講師をするなど、かなり語学・文学に精通している人物であった。さすが、その様な人物のしたためるエッセイだけあって、

 文章が文学的過ぎる

のだ。
かといって思い切り意訳してしまうと、日本語2、3行が、1つの英短文とか、メッチャあっさりになってしまうので、バランスを保つのが難しい。

・・・いやぁ~、これは翻訳すんの大変だわ。

が、しこたまブラックベリーもらったし、ちょっと骨を折ろうかと思う。

ちなみにこの本は、S氏の逝去後に奥方が自費出版したS氏の随想集であり、約40年前に東海愛知新聞に連載されていたもののようだった。さすがに古い自費出版の書籍なので、googleでもamazonでも見当たらなかった。
いつかS氏のご家族とも言葉を交わす縁があれば良いなと思う。

10. Aug. 2019